April 14, 2009

かちかちやま~弱食強肉な話

 広く知られているこのお話、ストーリーは他の民話と比べると左程バラエティーに富んではいない。では、民話の絵本を選ぶ時のポイントはやっぱり文章、それも耳にここちいい語り口が一番。あとは、絵の魅力も確かにありますね。

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August 27, 2006

うらしまたろう~日本語の響きが沁みいる絵本

 日本人なら誰でも一度は聞いたことのあるこの話、私にとっても馴染み深い話なのですが、これっていう本に出会えなくて今まで書きませんでした。この本は「こどものとも」から出ていたのに今までなぜか手にすることがありませんでした。いざ、手にとってみて読んでみると、これがいいんです。

 水彩画のような素朴な絵もなかなかなのですが、なんといっても文章。まるで常田冨士夫さんの声で語りかけてくるようで日本語の美しさを感じます。

 子どもの頃に知っていた話では、乙姫は亀を助けたお礼に太郎を竜宮城へ招待するのですが、この本では助けた亀=乙姫で太郎は別の亀に乗って竜宮城へ行きます。御伽草子によると亀=乙姫説が正しいようで太郎と乙姫の恋愛関係をほのめかします。この絵本では太郎は乙姫の婿になるとはっきり書かれていました。

 ある説によると竜宮城は遊郭、乙姫は遊女。太郎は売れっ子遊女のヒモになりのらりくらりと暮らしていたが、男として魅力がなくなったころ、ポイと捨てられたんだとか。なんとなく納得。
 
 それはさておき、この絵本は是非声に出して読んでみてください。日本語の響きが身に沁みるようです。


 

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March 19, 2006

はなさかじいさん~元祖:迷惑な隣人による被害白書

 日曜日の昼下がり、どこからともなく布団をたたく音が聞こえてくると「あっ!引っ越せババアだ」と息子が反射的に言います。布団をたたきながら引っ越せ引っ越せと叫んでるオバサンの醜態は確かに衝撃的でした。

 日本は住宅が密集しているから、どこの町内にも嫌いまでいかなくても顔を合わせたくない人の一人や二人はいるんじゃないでしょうか。そもそも好きで近くに住んでいるわけじゃなく、たまたま近くに住んでいただけの人たちと上手く付き合っていくのはなかなか骨の折れる作業だと思います。

 昔話に出てくる隣のじいさん、ばあさんというのもケチでずるくていじわると相場が決まってます。その最も代表的なのが「はなさかじいさん」に出てくる隣のおじいさんでしょう。

 民話ゆえに話の細部はさまざまなパターンがあるのですが、おじいさんとおばあさんが可愛がってた白いイヌのポチが、ある日「ここ掘れワンワン」と指し示したところを掘ってみたら大判小判がでてきて、おじいさんは一躍金持ちに。このポチももともと飼われていた説もあれば、「ももたろう」の桃みたいにおばあさんが洗濯していると川上から流れてきたという説もある。

 次に、隣の欲張りじいさんが強引にポチを連れて行って宝のありかを教えさせたが、ポチが示したところからは宝どころかガラクタが出てきて、怒った隣のじいさんポチを殺してしまう。

 その後、ポチを埋めた所から大きな木が生えてきて、その木で作った臼で餅を搗いたら餅が小判になった。そこで隣のじいさんがまたまたその臼を借りて餅を搗いてみたが小判にはならず、怒ってその臼を焼いてしまう。

 ここでも臼を焼いた灰をばら撒く説と、ポチの遺体をいきなり焼いた灰をばら撒く説が存在します。そして、その灰が風に飛ばされあたりに季節はずれの花を咲かせ、たまたま通りかかった殿様がそれを見て感心し、おじいさんに褒美を取らせます。またまた真似して灰をばら撒いた隣のじいさん、一向に花は咲かず却ってお咎めを受ける始末に。

 それにしても、おじいさんとおばあさん よくこんな厚かましい隣人に耐えていたと思う。子どものいないおじいさんとおばあさんにとってポチは子ども同然の存在。そんな可愛いポチを殺されただただ耐えているなんて・・・
あまりにも人がよすぎます。差し詰め今だったら訴えて損害賠償を請求できますね。

 お話の世界だからおおげさに書かれているのでしょうが、人間関係って確かに理屈じゃ片付けられないものがあります。力関係っていうんでしょうか、強く出れるものとそれに従ってしまうもの。そこに理論とか法則とかは存在しないんです。それが人の世の不条理というんでしょうか

 その力関係というのも、相手が変わると強い立場にも弱い立場にも変わってしまうものなのです。誰に対しても強く出られる、またその反対もありえないんですね。

 力関係だけじゃなく、人間誰かの前ではいい人でも、誰かの前では嫌な人になってしまうことも確かなんです。はなさかじいさんもお話の中ではいいおじいさんですが、特定の誰かに対してはとても嫌な印象を与えているのかもしれない。反対に隣のじいさんも はなさかじいさんに対しては嫌な人でしたが、他の人の前では案外好感度じいさんなのかもしれない。

 ここで隣人という存在をもう一度考えてみよう。家族は必然的な集合体だが隣人は好むと好まざるに関係なくそこに存在する。見たくなくても視界に入ってしまう存在。しかも家が近ければ近いほど無碍にはできず、ま、いってみれば最も煩わしい存在なのかもしれない。お話の中で隣人を悪者にすることで、昔の人は人間関係のストレスを発散させていたんじゃないでしょうか。

 

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December 30, 2005

かさじぞう~寒さが身にしみる話

 年の瀬も迫ると思い出してしまうお話がふたつ。アンデルセンの「マッチ売りの少女」と「かさじぞう」。特にかさじぞうは時代こそ違え、クリスマスも終わったほんとうの年の瀬、正月を目前にした慌しい日本を彷彿させます。

 細木和子氏の占いによると私は土星人。10月から12月は大殺界月であまり上手く事が運ばない月らしいのです。確かに二桁の月って他と比べてあまりハッピーな気分になれません。特に12月。忘年会でバカ騒ぎしたあとの酔いとともに醒めていくあの虚脱感。日本中があたふたあたふた落ち着きがなくなる様。どうも苦手です。何より‘おしまい’というムードが前向きな(?)私には絶えられないものがあります。

 反対に好きな月は1月と4月。同じ寒い季節でも1月には さあ、はじめるぞ!っていうムードが漂っていて、すがすがしい気分になれます。それから4月の新芽のほころぶ季節もいいですね。真新しい制服に身を包んだ中高生や着慣れないスーツをぎこちなく着込んだ新入社員。重そうにランドセルを担ぐぴかぴかの一年生。希望を感じます。

 さて、年の瀬を迎えたのに餅もない・・・というのでおばあさんがせっせと蓑笠を作ります。それを持っておじいさんは町に売りに行くのですが、誰も皆忙しそうで笠なんか見向きもされません。まったく売らなかった蓑笠を担いで家に帰る途中、雪が降ってきました。道端のおじぞうさんたちがなんとも寒そうに思ったおじいさん、ひとつずつ頭に笠を被せてあげました。その夜、ドシンと大きな音がして外へ出てみたおじいさんとおばあさん、そこには山のように積まれたお米だの野菜だの。ふたりはおじぞうさんがくださったと感謝しました。

 特に文章で詳細に書いてある訳じゃないのに、忙しそうに人々が行き交う師走の様子や身が縮むような寒さが伝わってきます。お腹をすかせた ろくに食べてもいないので、おじいさんとおばあさん、床の中でもさぞさぞ寒かった事でしょう。しかも隙間風が差し込むオンボロの家にせんべい布団に包まっただけ。寒さが伝わってくる話です。

 「まんが日本昔話」では一番最後の小さいおじぞうさんに笠が足りなくなって、おじいさんは自分の手ぬぐいを被せてあげます。食料を届けたあと、おじぞうさんたちがドスンドスンと音をたてて雪道を帰っていくのですが、例の小さいおじぞうさんが途中で転んであわててみんなの後を追うシーンがあります。アニメならではの脚色ですがなかなかユーモラスでほほえましく印象に残ってます。
 
 

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November 27, 2005

したきりすずめ~編集された人間の煩悩

 昔々、怪我をしている1羽のすずめを見つけてたおじいさんは、すずめを家につれて帰り手当てをして、その後もすずめを我が子のように可愛がりました。ところが、ある日おばあさんの作ったのりをすずめが食べてしまい、怒ったおばあさんは、すずめの舌をちょん切って家から追い出してしまいました。心配になったおじいさんはすずめを探しに出かけていって、ようやくすずめのお宿にたどり着きます。すずめから手厚くもてなしを受けたおじいさん、お土産に宝のつづらまで貰って帰ります。その宝に目がくらんだおばあさん、すずめのお宿に行き、もてなしもそこそこにとっとと土産を貰って帰ろうとします。おばあさんが選んだのは勿論大きなつづら。帰る途中の道すがら早く中味を見たくてしょうがないおばあさんは、すずめとの約束も忘れてつづらを開けてしまいます。中から出てきたのは宝ではなく化け物。驚いたおばあさんは足を踏み外して山から落っこちてしまいました。

 以上が私が子どもの頃に読んだ「したきりすずめ」のお話。おとなになってから、この話の隠れた部分を知って驚愕と同時に気持ちが悪くなりました。

 すずめを探しに行ったおじいさん、すずめの住処を道々いろんな人に尋ねるのですが、どの人もみな変な交換条件を付けて教えてくれるのです。本によって異なるのですが、
        ドロで作った団子を食べろ
        牛の洗い汁を飲め
        馬の小便を飲め
        敷き詰めたイラクサの上を裸で転げ回れ・・・
 吐き気を催しそうですね。この他にも すずめがおばさんに便所の蓋に飯を盛って出した。なんて記述もあります。ところが、こういった記述を読んだことでこの話の隠れた謎が目からウロコが落ちるようにわかってしまいました。

 何故、道を尋ねた人達がおじいさんに侮辱的なイジメを行ったか・・・・一見、子どものためにどんな恥ずかしい仕打ちにも絶える健気な親心のようにも取れますが・・・通常、いなくなった我が子を探している親に世間は同情こそしても、バカにするようなことはありません。世間とはまっとうだと思われるものに対しては、さほど手厳しいものではないようです。ところが、まっとうでないもの、何らかの引け目を負ったものには鬼にも蛇にもなりえます。このおじいさんの気持ちの中に引け目を感じるものがあるからこそ、人々はこうした態度で侮辱したのでしょう。

 何故、おばあさんがすずめに対して冷たい仕打ちをしたか・・・・つまり、すずめがつまみ食いをしたのは’のり’ではなく、おじいさんだったからです。つまり、このおじいさん、いい年して若い娘にうつつを抜かした色ボケじじいだったのです。そうやって考えると、すずめのお宿の描写も芸者さんが集まるお座敷を連想させられます。

 色ボケじじいに強欲ばばあ。なんとも煩悩深い夫婦ですね。それにしても教育的配慮を施されえた絵本の世界ではおばあさんひとりが悪者のようで、少々気の毒な気がします。

 


 
 

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March 12, 2005

ももたろう~語り継がれたことばの魅力

 よく、ちいさい頃から親に本の読み聞かせをしてもらってた子が本好きに育つといわれます。私の場合、確かに父や母から絵本を読んでもらった覚えはあります。ただ家にそれほどたくさんのこどもの本があった訳でもなく、我が家では本の“読み聞かせ”より素語りによる“語り聞かせ”が日常的でした。
 布団に入って眠りにつくまでの間、“ももたろう”や“カチカチ山”、“赤ずきん”や“シンデレラ”など定番の話を何度も何度もおねだりして話してもらいました。“語り”というのは話す人によって雰囲気が変わったり、その日によって物語りの細部が抜け落ちたり、余分なものがくっついたりと結構いいかげんなものです。ただアバウトな語りを繰り返し聞いてるうちに話のポイントをいつしか掴めてたんじゃないかと思います。
 親にやってもらったいいことは自分もやろうと、私のこども達にも布団の中の語り聞かせは受け継ぎました。グリムやアンデルセン、日本の昔話など誰でも知っているようなものを・・・ウチのこども達は“ももたろう”が大好きでした。
おそらく、ほかの話とくらべて自然にすらすら話してあげられたからじゃないでしょうか。物語そのものの面白さもさることながら、私自身の体の中に染み付いたことばのリズムが聞きやすかったのでしょうね。
 
 どんぶらこっこ どんぶらこっこ と、ももが流れてくると、洗濯中のおばあさんは言います。

             おいしいもも、こっちへこい。   ま~ずいもも、あっちいけ。
             あ~まいもも、こっちへこい。   すっぱいもも、あっちいけ。
 
 まるで唄でもうたってるようです。それからももたろうとイヌ、サル、キジが出会う時の掛け合いがいいです。

            -ももたろうさん、ももたろうさん、どこへいくんですか?
            -鬼が島へ鬼退治に
            -お腰に付けてるものはなんですか?
            -にっぽんいちの きびだんご
            -ひとつください、お伴します

 いつのまにか覚えて自然と口をついて唄うように語れます。代々親から子へと語り継がれた話にはストーリーだけでなく語り口のおもしろさが備わっていて、故に今日まで生き残っているのでしょう。


                       


 

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