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December 21, 2008

Harry Pottere and the Deathly Hallow

 読み終えてからだいぶ日がたってしまったんですが、年内になんとかアップしたかったので遅ればせながら書いてます。

 最終話なのでめくるめくストーリー展開を期待したのですが、想像していたようなものではありませんでした。むしろ悶々としたシーンが多くてまどろっこしいというのかすっきりしないというのか・・・まあ、ハリーはこの話をもって少年を脱皮するわけですから、あのまどろっこしさはいわば大人になるための成長過程なのかなとも思います。

 この話というより全編通して感じるのはハリー、ロン、ハーマイオニーの関係。ハーマイオニーのほうは一時ハリーに対して異性を意識した時期があったように思われるけど、ハリーのほうは全くその様子がない。ハリーとハーマイオニーはお互いの資質を認め合い性別を超えた友情を育んでいる。これは現実にはなかなか有り得ないことなので、とても羨ましく思う。敵の手を逃れて3人で隠れ暮らしていたころ、隠遁生活から痺れをきらしてロンが逃げ出してしまう。やっぱりロンだなあと微笑ましく思う。だけど、いくら親友だからといって、自分の彼女が他の男と二人きりで生活していたら気が気ではないんじゃないかしら?でも、あくまでもハリーとハーマイオニーは友達、とういうより同士として共同生活を営み、ロンは二人を疑いもせず信頼しきっている。ここにこの3人の普通では考えられない強い絆を感じる。

 それに対して、むしろ気の毒に思うのはジニーだ。ハリーは恋人であり、ロンは兄であり、ハーマイオニーは親友である。なのにその3人の固い絆にはばまれて、ひとり輪の外にいるしかない。おそらく3人の関係が単なる友達というのではなく、共通の使命を担った同士のような存在だあるためそうなってしまのだろう。ロンとハーマイオニーは仕事もプライベートも常に一緒に過ごす夫婦のようだし、ハリーは仕事と家庭をきっちり分ける男みたいだ。なにかしらそこにハリーのクールさを感じた。そして始終けんかしながらもいちゃついているロンとハーマイオニーを横目に見ながら、ひたすらハリーを待っているジニーになんとなく同情してしまう。

 ただ、像を調べるためにチョウがハリーを誘ってレイベンクローの寮に進入しようと計画したところ、ジニーがきっぱりチョウではなくてルナと行きなさいと促すシーンがある。ハリーは初恋のチョウにまだいくぶん想いを残しているし、チョウもまんざらでもない気でいる。そんな二人の気持ちをわかっていながら、でもはっきり主張するジニーに女のしたたかさを感じた。

 それからこのシリーズを通じてとても印象に残るのがきょうだいの存在。作中いろいろなきょうだいが出てくる。ウィーズリー兄妹を筆頭にシリウスとレギュラス、ぺチューニアとリリー、ベラトリクスとナルッシッサ、ダンブルドアの弟アバーフォースと妹のアリアナ。

 まず、ウィーズリー家だが、この家はまるでオールスター勢揃い。ビルとパーシーは優等生、チャーリーはクィディッチの名プレーヤー、フレッドとジョージはみんなを楽しませるいわば学園のアイドル。ジニーもミーハーなスラグホーンがきれいなお嬢さんと推すくらいだから際立って可愛いのかもしれない。ただひとり冴えない役回りのロンだけど、彼だって決してカッコ悪くはない。クィディッチのキーパーにもなったし監督生にもなった。ただお兄さん達があまりにも華があるせいか地味な役回りを演じなければならない。学校でも他の友達と一緒にいれば案外目立つかもしれないのに、超有名人のハリーや学年トップの優等生ハーマイオニーと一緒だから引き立て役になってしまう。1話のみぞのかがみでみんなから褒められ注目されることを望むロンだが、結構心の奥底では目立つことが苦手なんじゃないか?だから目立つ人の陰に隠れるようなポジションに自らついてしまう性分なのかもしれない。

 良妻賢母といった面持ちのナルシッサとじゃじゃ馬を絵に描いたようなベラトリクスは正反対の姉妹。リリーとぺチューニアも気性はだいぶ違う。シリウスは魅力的なんだけど、なんとなくクールで近寄りがたい雰囲気があるのに対してレギュラスはとてもチャーミングで人懐っこい。同じ両親から生まれてきたはずなのにきょうだいというのは不思議なものでそれぞれが違った個性を醸し出す。やはり似ている部分もあるので赤の他人を比べた時とは違う面白さがある。唯一例外はフレッドとジョージで、私は1話の頃からこのふたりが全く個性が一緒でいかにもふたりでひとりみたいな設定に少々違和感を感じていた。

 6話はハリーの話であると同時にヴォルデモードの話でもあったが、7話はハリーの話であると同時にアルバス・ダンブルドアの話でもある。同時にリリーとスネイプの話でもある。ダンブルドアは魔法界でも1,2を争う実力と信頼を得た人物である。ところが弟のアバーフォースは自分の兄を良くは言わない。外面は良くても家族には冷たかったと語っている。ダンブルドアが一時反マグル主義にはまった事実にハーマイオニーは「若かったのよ」と庇ったがハリーは「今の自分たちと同じ年頃だ」と反論する。自分の力を上手くコントロールできない妹に対して同情するより自分の経歴を傷つける存在として疎ましく思ったこともあったろうし、若気の至りで過激な思想に没頭したこともあったのだろう。聖人ではない人間ダンブルドアの姿が垣間見られて面白い。

 それに対してひとりっ子の存在も目に付く。まずはハリー、それからハーマイオニー、ルナ、ネビル。ドラコやダドリーもひとりっ子だ。ハリーは小さい頃に両親と、ルナは母親と死に別れているからひとりっ子でいるのはある意味仕様がないことだ。ネビルも両親が廃人同様になってしまったのでやはりいたしかたない。ハーマイオニー、ダドリー、ドラコは特に子ども嫌いな親に育てられてるわけでも生活に困っているわけでもなさそうなので、たまたまひとりっ子になってしまったんだろう。

 ハリーとネビルは別にして、この話の中のひとりっこ達は結構いきいきしている。ダドリーとドラコは甘やかされて育ったためかわがまま坊ちゃまの風格がある。このふたりはひとりっ子の負の部分を代表しているように見える。一方ルナの天然ぶりやハーマイオニーの破天荒ぶりは読んでいてほれぼれする。現在日本の小中学校はクラスの約半分はひとりっ子。イギリスではどうなんだろう?なんて考えてしまった。ただ、ここに出てくるひとりっ子たちは日本のひとりっ子達とはなんか異なる。

 ハリー・ポッターは書店のジャンル分けではよくファンタジーに分類されているが、私自身あまりファンタジーだとは思えない。むしろ学園青春ドラマかなと思う。それでも全編通して本書が一番ファンタジー色が濃いように思われる。歴史学者に導かれるシーンや銀色の鹿と遭遇するシーンなどはとても幻想的だった。

 本筋とは直接関係のないことをあれこれ書いてしまいましたが、あとは日本語版を読んでからまたまとめてみたいと思います。せっかくだから1話から順を追って読み直そうかなとも考えてます。

 


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