« September 2006 | Main | November 2006 »

October 28, 2006

The Lion, the Witch and the Wardrobe

 映画が公開されて書店に洋書が出まわった頃この本を買いました。途中まで読んでしばらく投げてましたがDVD見る前にひととおり読んでしまおうと続きをやっと今日読み終えました。

 私は日本語を読むスピードは割りと速いのですが、英語だとそうもいきません。スピードが遅い分細かい部分まで目に入ってしまうみたいです。今回はストーリーよりも(既に承知しているので)風景描写や子どもたちのキャラクターが鮮明に写りました。

 まずルーシーは子どもらしく素直でストレート。女の子っぽい姉のスーザンに比べて勇敢で決断力もある。
 
 次に、別の意味で子どもらしいエドマンド。彼がいなかったらこの話もさほど面白くはなかったでしょう。彼のずる賢い行動のため悲劇が悲劇を生むのですが、なんたって子ども、ターキッシュ・ディライトが食べたくて魔女の口車に乗ってしまうんでうから憎めないですよね。成人したエドモンドは物静かで公正な若者になるようです。子ども時代の苦い経験が大きな教訓になっているのでしょう。

 ピーターは熱血少年。最年長としての責任感もあるのですが、時に熱くなりすぎるところも。ある意味計算高いエドモンドと比べ、彼は単純明快。男の子らしい男の子です。

 私はこれまでスーザンは4人の中で一番印象に残ってなかったのですが、今回ずいぶんこ彼女のキャラが際立ちました。成人してからは「やさしいスーザン」と呼ばれるように最も思いやりがあり沈着冷静。慎重すぎる感もあります。魔女との戦いの後、エドモンドのためにアスランがどんな犠牲を払ったのかエドモンドに伝えるべきだと言うルーシーに、そんなことを話したらエドが一番傷つくと妹をたしなめる姿がとても心に残りました。こちらの世界で博士がスーザンのことを "My Lady"というのも印象的です。

 風景描写も実に鮮明です。子どもの頃読んだ時よりも植物の名前や野の鳥の種類を知識として知っている分楽しめた気がします。そしてナルニアといえばやはり雪景色。私の中では「雪の女王」「森は生きている」と並んで 雪景色三大物語と勝手に銘打っておりました。ところが今回なぜか雪の風景よりも雪が解けて春になっていく様が非常に印象に残ったのです。雪が溶け、木々の緑や草花が顔を出し、春の息吹が感じられる希望が写しだされていくようでした。

 この話は、子どもの読み物にしてはやはり重たい。ハリー・ポッターのように読みながらわくわくして続きが読みたくなるのとは違い、読み終わった後、ずしりと何かがのしかかってくるような物語です

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 21, 2006

映画:ハリー・ポッターと炎のゴブレット

 ようやくDVDを借りて参りました。子どもと一緒に見たので吹き替え版で見ましたがさすがにハリーの声優さん代わってましたね。それとも3話から今の人だったでしょうか?ちょっと思い出せません。

 一言で言うなら あの長い話を上手くまとめたな。ということですね。原作ではハリーにエラコンブのことを教えるのはドビーですし、ドビーもクラウチ家の座敷僕妖精ウィンキーも出てこなかったですね。ハーマイオニーの座敷僕妖精救済活動の様子も見られなかったのもちょっと残念。ただハリーへの伝達役は一所懸命だけどピントの外れているドビーよりも、薬草学は得意なネビルのほうが説得力はありましたね。あれはいいアレンジだと思いました。あとネビルの役者さん「賢者の石」の頃から同じ子がやってると思いますが、なんか可愛くなってる気がしました。ロンとは反対に。

 映画だとハリーもハーマイオニーもなんか可愛いすぎちゃうので本を読んでいる時とはなんか違います。やはり別物なんですよね。チョー・チャンもフラーもまあ可愛いけど、私的にそれほど魅力的な女の子とは思えませんでした。ただこれまでの話もそうですが、外国の話でしかも魔法界の話なので本を読んだだけでは想像しきれない部分は多々あるんですね。だからこのシリーズは映画をみると クィディッチのワールドカップの模様や3校対抗試合の舞台設定なんかが、ああこうなってるんだ・・・と素直に受け入れられて映画を観る甲斐があります。

   

| | Comments (5) | TrackBack (0)

October 15, 2006

おぼえていろよ おおきな木~見よ!植物の生命力

 「100万回生きたネコ」でおなじみの佐野洋子さんの絵本です。折りしもシェル・シルヴァスタインの「おおきな木」のレビューを書いたばかりのところ、グッドタイミングにこの本と出合ってしまいました。佐野さんがシルヴァスタインの本を意識して書いたのかどうかわかりませんが、(私には意識して書いてるように思えるんですが)2冊を単純に比べてみて、こちらのほうが後味のいい終わり方をしていて「私、この本好き!」と素直に思えました。

 あるところに1本のおおきな木がありました。木のすぐ近くの小さな家にひとりのおじいさんが住んでいました。とても立派なおおきな木なのですが、おじいさんは木のことを疎ましく思っています。朝になると小鳥が集まってきてうるさい、木陰でお茶を飲んでると小鳥のふんが落ちてくる、秋になると枯葉がうっとおしいだの文句ばかり言ってるんです。

 ところが、このおじいさんは他の誰よりも木の恩恵を受けているんです。朝は鳥の声で目が醒める、木の幹にロープを結んで洗濯物を干す、秋に実ったリンゴの実を近所の子どもたちが取りにくるのを追い払い独り占めする、枯葉を集めて焚き火をしながら焼き芋を焼く。こんなに木の恩恵を受けながら感謝するでもなく身勝手に文句ばかり・・・とても偏屈なおじいさんなんですが、なぜか憎めずかわいいんですよ。

 ある冬の日、雪に滑って木にぶつかり痛い思いをしたおじいさん、とうとう木を切り倒してしまいます。ところが、いざ木のない生活をしてみると、花が咲かないので春になったのがわからなかった。小鳥が集まってこないので朝が来たのがわからなかった。洗濯紐をかけるところがない。お茶を飲むにも木陰がない。焼き芋を焼きたくても枯葉がない。雪が積もると目印になる木がないので自分の家が見つからない。

 仲のいい友達でも、好き合って一緒になった夫婦でも一緒にいるのがあたりまえのようになってしまうと、ありがたみがわからなくなって逆に嫌な事のほうが鼻についたりするものです。いなくなって初めてその価値がわかったりするんです。

 この話のいいところは、ここで終わらないのです。落胆したおじいさん、ある日切り株の端っこから若くて細い芽が生えているのを見つけます。おじいさんは水をあげ、その後木を大切にするのでした。

 私はアロマの勉強をするようになって木とは限らず植物の生命力に大きく感服させられています。植物は自分で話すことも動くこともできません。できないけれど、その分したたかさがあるんですよ。この木も根っこに残った命の種から小さな生命の芽を伸ばす。自分を痛めたおじいさんを恨むでもなく、前向きに自分の命を伸ばす。希望がわいてきて嬉しくなってくる絵本です。

 

 

| | Comments (13) | TrackBack (1)

October 09, 2006

怪盗クロネコ団あらわる!

 先日kmyさんの 雨降り木曜日に紹介されていた本です。

 kmyさんの記事を読んでまずネコが出てくること、そして主人公のオサムさんがなんか憎めないキャラみたいで、しかもオサムさんと奥さんが村上春樹の小説に出てくる夫婦みたいで、なんとも読んでみたくなっちゃいました。図書館では既に閉架に保存されていました。もう忘れられかけていたんですかね。

 オサムさんは現在失業中。奥さんに代わって毎日の家事をこなしていました。そんなある日、怪盗クロネコ団のミスタ・クロネコと名乗る黒猫の訪問を受ける。怪盗クロネコ団とは世界を股にかける怪盗組織でネコである利点を生かして大仕事を成功させているという。シンデレラの金の靴下止めとか、一寸法師の打出の小槌なんかを盗んでいるという。

 オサムさんはそろばんとババ抜きが得意。そこに目を付けたクロネコ団はオサムさんにジョーカー氏とのカードゲームに勝ってジャックと豆の木の豆を獲ってきてほしいと依頼する。オサムさんがネコがそんなもの盗ってなんになるのかと尋ねると、ネコの答えがまたふるっている。

 「生活日用品というか、役に立つものを盗むのは怪盗じゃない、どろぼうねこっていうんです」

 そこでオサムさん、カードゲームのため単身ジョーカー氏のもとへ乗り込むのですが・・・

 この話は感動する! とか 考えさせられる・・・  といった類の話ではない。しかしなかなか面白い。こういう気ままに楽しく読める本を子ども達の身近に置いておいてあげたいと思った。学校の図書室とか学級文庫なんかに。本は重いテーマのものばかり読まなくても、時にこういった娯楽性のある読み物もいいんじゃないか。それで活字に慣れる子が増えれば。

 ジョーカー氏のもとに捕らわれていたメイドさん、助かったようなんですが、どういういきさつで捕らわれ、どうやって助かったのか気になります。次回作でその謎が解けるのでしょうか。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

October 08, 2006

おさる日記~出生の秘密のひみつ

 小学校のPTA研修で読み聞かせの先生から読んでいただいた(紹介された)本です。図書館で借りようとするといつも誰かに借りられていて、やっと借りることができました。和田誠さんの本なので、てっきり和田さんが絵も描いてるのかと思いましたが、違う人の絵でした。でもその絵がまた、可愛らしいんです。

  おさる日記とタイトルにあるように見開き右側が文章、左側一面が絵というように絵日記の形で構成されています。私はこれを見てなぜか竹下龍之介くんの「天才えりちゃんシリーズ」を連想してしまいました。あちれも絵日記みたいな書き方でしたね。ただ、あちらは正真正銘の子どもの文章、こちらはニセ子どもの文章です。

 せっかくだから私も読み聞かせしたくて、中学生になった息子に「お話読んであげる」と読み聞かせの押し売りをしたところあっさり拒絶され、だったら自分で読むといって彼はひとり読んでしまいました。読み終わったあと、結末について「二度もってことは・・・・」と確認して本を閉じました。やっぱり最後が気にかかるみたいです。

 ぼくもペット、おさるのもんきちは積み木もできれば自分でテレビもつけられる。キャッチボールだってできちゃう。日に日にお利口になっていくもんきち。ぼくは理科の時間にサルが人間に進化したと習い、サルが人間になることもあるんだと納得します。そのうちもんきちは毛が抜けてきて人間の子みたいな姿に。最後にはことばまでしゃべるようになり、ぼくの弟になることに・・・そんなある日、寝ぼけ眼のぼくはおとうさんとおかあさんの会話を聞いてしまいます。

 「おかしなこともあるもんだな」
 「ほんと、それにこんなふしぎなことが、二度もおきるなんて」

 最後のこのオチがなんとも不思議なムードを漂わせています。一瞬ぎょっとしますね。

 私は赤ん坊の頃、じゃがいもみたいな頭をしていたらしく、よく両親から「ぴぐもんは じゃがいもから産まれたんだよ」などといわれていました。どこの家にも、そんな出生の秘密に関するお話、もちろん作り話のひとつやふたつはあるんじゃないでしょうか。定番は「○○は橋の下で拾ってきた」とか「○○は実はもらってきた子」だとか・・・それを聞いた子ども本人も特にショックを受けるわけでもなく、「あ、またか」と親がつくった作り話の世界に付き合うのです。

 実は我が家にも「そら豆SとおむすびNのはなし」というオリジナルストーリーがあって、娘は赤ちゃんの時そら豆みたいな頭の形をしていたから「Sはそら豆から産まれた」と、息子はおむすび形だったので「おむすびから産まれた」という話をでっちあげてさんざん聞かせました。当の本人たちもその戯言を結構楽しんでいました。

 病気や記憶喪失と並んで、出生の秘密はメロドラマのキー・アイテムですね。ほんとうだったら物凄くショッキングなことなんだけど、お話(つくりごと)だから笑ってたのしめるんですね。この話もそんな出生の秘密 話の変化球だと思います。ただ最後の最後までわからせないストーリー展開には脱帽です。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

October 01, 2006

おおきな木~しあわせってなんだっけ?

 先日、えほんうるふさんの オトナノトモに この本についての大変興味深い記事が載せられていました。どちらかといえば さらっと読んじゃった絵本なので、本文よびそれにつけられているコメントを読んであれこれ考えさせられてしまいました。

    共依存の甘い罠 http://pictbook.seesaa.net/article/23473524.html

 この絵本は英語版とフランス語版を持っているのですが、実は日本語版は読んだことがなかったので図書館で借りてきて初めて読みました。率直な感想を言わせてもらうと日本語版の文章、私好みじゃありません。英語で読んだほうが余計な修飾がなく、すっきり読める気がします。

 少年に対して木はどんなに大きくなっても「ぼうや」と語りかけてます。ところが語りのほうは、最初は ちびっこ、少し大きくなると その子、家庭を持つくらいになると おとこ と変化していく。物語の流れからいってごく自然なことなんだが、なぜか英語版ではどんなに歳をとっても Boy、フランス語版では le garcon と変化しない。年とった男をわざわざBoyのままで語っているのは作者があくまで木の視点に立っているからなのか?それとも何か別の思惑があるのか?少し気になった。

 何気なく読んでしまうと単なる無償の愛がテーマの話なんですが、ある1つの文章にとても引っかかりました。その一文で物語の流れが大きく逆流する位の衝撃を受けました。木がりんごを与え、枝を与え、幹を与え最後は切り株の姿になってしまったシーン。

 And the tree was happy....but not really

 ことばにならない木の叫びが聞こえてきたような気がしました。but not reallyが入らなければこんな風には感じなかったんじゃないかと思います。

 かつてはその懐に大好きな少年を抱え込んでいた木。花が咲き、実がなり大きく美しかった。大好きな少年のために与えられるだけ与え、それは確かに喜びではあるが、変わり果てた自分の姿を侘しく思ったりもしたんじゃないか。まして木は彼のように船旅に出ることもできず、いつまでも生まれ育った森の中にいる。

 自分の夢もやりたいことも犠牲にして家族のために尽くしてきたのに、気がついたら皺だらけのおばあさん。もう今からじゃ何もできない。私の人生っていったいなんだったの?!---と叫ぶ初老の母親を連想させます。

 少年は最初はビジネス=お金、次に家庭=愛、それから旅=冒険へと違った形の幸せを求めていきます。でも結局彼は自分のしあわせを見出せなかったようですね。あてもなくしあわせを探し続ける存在とそれを見守るだけの存在。人生って案外そんなものなのかもしれませんね。


 

| | Comments (2) | TrackBack (1)

« September 2006 | Main | November 2006 »