« February 2006 | Main | April 2006 »

March 22, 2006

かいじゅうたちのいるところ~食べちゃいたいくらいの愛情

 最初よんだ時は、それほどいい印象は受けませんでした。話はシンプルだし、何より絵が可愛くない。ところがヤマハで出してるビデオ・シリーズ「世界お話絵本箱」を見て受け止め方が変わりました。このシリーズは絵本本来の良さを損なわないため、アニメーションの動きをできるだけ抑えて、あたかも絵本を読んでもらってるように構成されています。それでも、「かい じゅうたちのいるところ」は他の作品に比べて動きが多いほうでした。マックスのやんちゃな動き、そしてかいじゅうたちのおどけた動き。

 オオカミの着ぐるみを着て暴れまわるマックスは、お仕置きに夕食抜きで部屋に閉じ込められてしまいます。すると部屋の中に木がにょきにゅき生えてきてジャングルになってしまいいます。そして、マックスはボートに乗って海へこぎ出でます。着いた所はかいじゅうたちのいる島。マックスはかいじゅうたちの王様になって威張って暮らします。でもそのうち、寂しくなって誰かさんのところは帰りたくなってしまいます・・・

 誰かさんというのはもちろんおかあさん。幼児期の子どもは常に王様。威張って甘えてなんでもかんでもおかあさんに頼って生きています。それでも時にはピシャリと叱られることもあります。しつけの必要もあるし、おかあさんだってたまには王様のわがままに付き合いきれなくもなるんですよ。

 そんな時、子どもの願望で何でも言うことを聞いてくれる家来がいたらいいな・・・なんて考えます。しかもその家来が強くてたくましかったら尚更いい。自由気ままに王様とし君臨するマックスですが、そのうち誰かさんのところへ帰りたくなる。

 この絵本にはおかあさんの姿は出てきません。それなのに、最初にマックスが叱られるシーンにも、お部屋においてあるスープのシーンにも、なにより島にいるマックスが恋しくなるシーンで、はっきりとおかあさんの存在が伺えます。いかにマックスがおかあさんと繋がってるのかがわかります。
 
 それから、この絵本にはもうひとつ「額縁効果」と呼ばれる技法が使われてます。最初のページの絵は小さく、ぺーじをめくるたびにえ見開きにおける絵の割り合いが増えてきて、つまり大きくなっていって、かいじゅうおどりのシーンでは見開き全体が絵になっています。現実世界におけるマックスは無意識に自分の存在の小ささに気づいているのかもしれません。空想世界に深く深く入るにつれて自分を偉大な存在にすることができるのです。

 実はこの「額縁効果」というのはある学生さんのブログで知りました。児童文学を専攻されてる方らしく読み応えのある文章を書かれてましたが、ブログを閉じられてしまったようで残念です。

 着ぐるみを着てかいじゅうになったマックスはおかあさんに「おまえを食べてやる」といいます。別れ際にかいじゅうたちがマックスに「俺たちはおまえを食べちゃいたいくらいすきなんだ」と言って引き止めます。それこそがおかあさんがマックスにいつも言ってることばなんですね。

 

| | Comments (1) | TrackBack (0)

March 19, 2006

はなさかじいさん~元祖:迷惑な隣人による被害白書

 日曜日の昼下がり、どこからともなく布団をたたく音が聞こえてくると「あっ!引っ越せババアだ」と息子が反射的に言います。布団をたたきながら引っ越せ引っ越せと叫んでるオバサンの醜態は確かに衝撃的でした。

 日本は住宅が密集しているから、どこの町内にも嫌いまでいかなくても顔を合わせたくない人の一人や二人はいるんじゃないでしょうか。そもそも好きで近くに住んでいるわけじゃなく、たまたま近くに住んでいただけの人たちと上手く付き合っていくのはなかなか骨の折れる作業だと思います。

 昔話に出てくる隣のじいさん、ばあさんというのもケチでずるくていじわると相場が決まってます。その最も代表的なのが「はなさかじいさん」に出てくる隣のおじいさんでしょう。

 民話ゆえに話の細部はさまざまなパターンがあるのですが、おじいさんとおばあさんが可愛がってた白いイヌのポチが、ある日「ここ掘れワンワン」と指し示したところを掘ってみたら大判小判がでてきて、おじいさんは一躍金持ちに。このポチももともと飼われていた説もあれば、「ももたろう」の桃みたいにおばあさんが洗濯していると川上から流れてきたという説もある。

 次に、隣の欲張りじいさんが強引にポチを連れて行って宝のありかを教えさせたが、ポチが示したところからは宝どころかガラクタが出てきて、怒った隣のじいさんポチを殺してしまう。

 その後、ポチを埋めた所から大きな木が生えてきて、その木で作った臼で餅を搗いたら餅が小判になった。そこで隣のじいさんがまたまたその臼を借りて餅を搗いてみたが小判にはならず、怒ってその臼を焼いてしまう。

 ここでも臼を焼いた灰をばら撒く説と、ポチの遺体をいきなり焼いた灰をばら撒く説が存在します。そして、その灰が風に飛ばされあたりに季節はずれの花を咲かせ、たまたま通りかかった殿様がそれを見て感心し、おじいさんに褒美を取らせます。またまた真似して灰をばら撒いた隣のじいさん、一向に花は咲かず却ってお咎めを受ける始末に。

 それにしても、おじいさんとおばあさん よくこんな厚かましい隣人に耐えていたと思う。子どものいないおじいさんとおばあさんにとってポチは子ども同然の存在。そんな可愛いポチを殺されただただ耐えているなんて・・・
あまりにも人がよすぎます。差し詰め今だったら訴えて損害賠償を請求できますね。

 お話の世界だからおおげさに書かれているのでしょうが、人間関係って確かに理屈じゃ片付けられないものがあります。力関係っていうんでしょうか、強く出れるものとそれに従ってしまうもの。そこに理論とか法則とかは存在しないんです。それが人の世の不条理というんでしょうか

 その力関係というのも、相手が変わると強い立場にも弱い立場にも変わってしまうものなのです。誰に対しても強く出られる、またその反対もありえないんですね。

 力関係だけじゃなく、人間誰かの前ではいい人でも、誰かの前では嫌な人になってしまうことも確かなんです。はなさかじいさんもお話の中ではいいおじいさんですが、特定の誰かに対してはとても嫌な印象を与えているのかもしれない。反対に隣のじいさんも はなさかじいさんに対しては嫌な人でしたが、他の人の前では案外好感度じいさんなのかもしれない。

 ここで隣人という存在をもう一度考えてみよう。家族は必然的な集合体だが隣人は好むと好まざるに関係なくそこに存在する。見たくなくても視界に入ってしまう存在。しかも家が近ければ近いほど無碍にはできず、ま、いってみれば最も煩わしい存在なのかもしれない。お話の中で隣人を悪者にすることで、昔の人は人間関係のストレスを発散させていたんじゃないでしょうか。

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 18, 2006

新しいブログ立ち上げました

 おかげさまでこのブログも3月10日をもちまして満1周年となりました。あっという間の一年でした。最初ブログを立ち上げる時は、無名の素人の日記なんか読んだって面白いわけがない、何かテーマを決めとほうがいいと思いました。そこで自分にとって最も身近なテーマはやっぱり本だな、中でも一番ネタに困らないのが児童書だな。とすんなりテーマは決まりました。

 サブ・タイトルにもあるように 『子どもと おとなの ための 児童書案内』 なので、小学生が読んでもわかることばで書く。というのをモットーにはじめたんですが、コメントを寄せてくれる方々がほとんど(たぶん)おとなの人たちなので、ついついそういう人たちを意識して記事を書いてしまってました。ここでまた初心に戻って子どもにもわかりやすい記事を書いていこうと思います。

 一方で、ぴぐもんは毎日毎日児童書ばかり読んでるわけじゃなく、本ばかり読んでるわけでもなく、一社会人として仕事もして、家族の世話もして、読書以外の趣味も持ってるんだぞ・・・という事実をどこかに書いてみたくなりました。

 そんなわけで去年の暮れごろから もうひとつ別のブログを立ち上げる計画を立ててました。最初はココログのプランを変更しようと思ってましたが、パソコンの環境が悪いのかなかなか変更できずのびのびになってしまいました。そこで考えて見たんですが、なにもココログにこだわる必要はなく無料のサービスもたくさんあることだし・・・とあれこれ探ってみて作り易そうなgooに 『ぴぐもん’s だいありぃ』 を立ち上げました。

 児童書以外の本、映画、アロマテラピーのことなどが中心になると思います。暇のある人はそちらにも立ち寄ってみてください。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

March 05, 2006

フレデリック~役に立たないことの大切さ

 レオ・レオニと聞いて真っ先に思い出すのは「スイミー」だろとと思う。教科書にも載ってるくらいだから本を読まないような人まで知っている。あれはもう別格。「スイミー」もそうだがレオ・レオニの作品は心臓になにか空気みたいなものがすーーーっと浸み込んでいくような感覚を覚える。

 絵本作家(画家)によって、よく描く動物というのがあるもので レオ・レオニの場合圧倒的にネズミの話が
多い。レオ・レオニの描くネズミはサツマイモのようなボディに目をつけ、耳をつけ、手足と尻尾をつけて出来上がり!といったシンプルなもの。大勢のレオニ製ネズミを代表して、今回はフレデリックにご登場願おう。

 谷川俊太郎訳によるレオ・レオニ・シリーズにサブ・タイトルがついているのを最近になって知った。「スイミー」は“ちいさなかしこいさかなのはなし”、「フレデリック」は“ちょっとかわったなずみのはなし”といった具合に。実は他の作品にもちょっとかわったキャラクターは多数存在している。レオ・レオニを一言で言うならば個性の作家と言えるだろう。

 冬に備えてネズミたちはせっせと食料の確保に大忙し。そんな中、なにもしないでぼーーーーっとたたずんでるフレデリック。何をしてるのか尋ねると、お日様のひかりや、色や、ことばを集めてるという。そんなフレデリックを尻目になおもせっせと働く仲間たち。

 冬がやってきてネズミたちは蓄えた食糧を食べたり、世間話をしたりして時を稼いだ。やがて食料も話のネタも尽きた頃仲間たちはフレデリックのことを思い出した。フレデリックの口から発せられるさまざまな物語にネズミたちは感心し寒くて退屈な冬を楽しくあたたかな気持ちで過ごせた。

 “人はパンのみでは生きられない” 食料を集めることは生きていく上では必要不可欠なこと、やらないわけにはいかないことです。ただ、一見不必要と思われるようなことも生きてゆく上で糧にも潤滑油にもなっているのです。 

 なまけもののフレデリックによって楽しい時間を過ごすことができてネズミたちは感謝しました。でもフレデリックの功績は仲間たちが彼を認めてくれて働かないことを許容してくれたから成り立ったのです。他者の個性を認めることは自分がリスクを負うことにもなります。この仲間たちのように個性を尊重して認めてくれる社会が、現実のものであってほしいと切に願います。


| | Comments (2) | TrackBack (0)

« February 2006 | Main | April 2006 »