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November 04, 2005

大きな森の小さな家~きれいなおかあさんはすきですか?

 ご存知大草原の小さな家シリーズの第1話です。NHKのドラマで放送されていた、あのイメージが強いのですが、本を読んでみると とうさんはマイケル・ランドンみたいにかっこよくなくて、むしろ‘野暮ったい農民’というイメージ。かあさんもテレビほどは上品じゃなく、インディアンに偏見をもったり、テレビほどは理想的じゃない。

 ローラは自分の両親をDad,Momとは言わないで、Pa,Maと呼んでました。私が大好きなサンフランシスコの女探偵Sharon McConeも同じように呼んでいたのでこの言葉に少し親しみを感じました。Dad,Nomがお父さん、お母さんだとすると、Pa,Maはとうちゃん、かあちゃん、或いは関西風におとん、おかんだったかもしれません。いずれにいても砕けた言い方であるようです。

 今回紹介するエピソードは、おじいちゃんの家で開かれるダンス・パーティーの時の話。ローラ一家はダンス・パーティーのため、おじいちゃんの家へ遊びに行きます。何の娯楽もない開拓時代の中西部だから、おとな達にとってパーティーは凄く楽しみなレジャーだったのでしょうね。

 ローラは控え室でおばさんたちが着替えるのを眺めています。おばさんといっても、まだ結婚していない若い女の人達です。映画「風と共に去りぬ」でスカーレットがやったように、彼女達もコルセットの紐をできるだけきつく締め上げます。その時ルビーおばさんが、ローラのかあさんは結婚する前、とうさんの両手で包み込めるくらいウエストが細かったと話して、羨ましがります。それを聞いたローラは自分のかあさんが誇らしく思えるのです。その後普段着ないようなよそ行きのドレスに着替えたかあさんを見て、あまりにきれいなので近寄りがたい気分になるのです。

 義姉の家に遊びに行った時、夫と姉が子どもの頃自分のおかあさんをきれいだと思っていたと話して笑ったことがあります。姑はあまり‘きれい’と呼べるタイプじゃありませんから。でも私も小さい頃自分の母親をなんとなくきれいだと思ってました。やっぱり。ウチの母もお世辞にもきれいとは呼べないタイプですから。

 小さな子どもにとっておかあさんは何でも出来て、何でも知ってて、やさしくてきれいな女神みたいな存在なんですね。知恵がついて少しずつ物がわかるようになると、いつしかおかあさんは女神から普通のおばさんに格下げされちゃうんですよ。私の弟も幼稚園の頃「ママはきれいだ」と言い張って周囲の笑いを誘ってました。

 時は流れてウチの息子もやはり「ママはかわいくて美人だ」と主張する時期があって、楽しい思いをさせてもらいました。テレビに映る女優さんやモデルさんを指差して「この人とママとどっちがきれい?」と聞くと、「ママ」ときっぱり答えてくれました。藤原紀香よりも松嶋菜々子よりもママはきれいだったんですよ。あの頃は。

 話は本に戻って、私がローラを羨ましく思うのはかあさんだけでなく、とうさんも英雄である事。子ども達が成長してかあさんが普通のおばさんに降格した後も、この家はとうさんがいつまでも英雄でいつづけてるのです。お父さんを英雄のように思える家庭ってなかなかないですよね。特に現代日本のサラリーマン家庭では ちびまるこちゃんちの ひろし みたいにラフな格好してお酒呑みながらテレビ見ている姿しか知らないから、とても尊敬の対象にはなりえません。ローラみたいにお父さんが汗水たらして働いている姿を見ると違ってくるのかもしれませんが。

 ひとつの目安として、子どもが単純にママはきれい、パパはかっこいいと言えるような家庭は案外いい家庭なのかもしれません。

 

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