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November 27, 2005

したきりすずめ~編集された人間の煩悩

 昔々、怪我をしている1羽のすずめを見つけてたおじいさんは、すずめを家につれて帰り手当てをして、その後もすずめを我が子のように可愛がりました。ところが、ある日おばあさんの作ったのりをすずめが食べてしまい、怒ったおばあさんは、すずめの舌をちょん切って家から追い出してしまいました。心配になったおじいさんはすずめを探しに出かけていって、ようやくすずめのお宿にたどり着きます。すずめから手厚くもてなしを受けたおじいさん、お土産に宝のつづらまで貰って帰ります。その宝に目がくらんだおばあさん、すずめのお宿に行き、もてなしもそこそこにとっとと土産を貰って帰ろうとします。おばあさんが選んだのは勿論大きなつづら。帰る途中の道すがら早く中味を見たくてしょうがないおばあさんは、すずめとの約束も忘れてつづらを開けてしまいます。中から出てきたのは宝ではなく化け物。驚いたおばあさんは足を踏み外して山から落っこちてしまいました。

 以上が私が子どもの頃に読んだ「したきりすずめ」のお話。おとなになってから、この話の隠れた部分を知って驚愕と同時に気持ちが悪くなりました。

 すずめを探しに行ったおじいさん、すずめの住処を道々いろんな人に尋ねるのですが、どの人もみな変な交換条件を付けて教えてくれるのです。本によって異なるのですが、
        ドロで作った団子を食べろ
        牛の洗い汁を飲め
        馬の小便を飲め
        敷き詰めたイラクサの上を裸で転げ回れ・・・
 吐き気を催しそうですね。この他にも すずめがおばさんに便所の蓋に飯を盛って出した。なんて記述もあります。ところが、こういった記述を読んだことでこの話の隠れた謎が目からウロコが落ちるようにわかってしまいました。

 何故、道を尋ねた人達がおじいさんに侮辱的なイジメを行ったか・・・・一見、子どものためにどんな恥ずかしい仕打ちにも絶える健気な親心のようにも取れますが・・・通常、いなくなった我が子を探している親に世間は同情こそしても、バカにするようなことはありません。世間とはまっとうだと思われるものに対しては、さほど手厳しいものではないようです。ところが、まっとうでないもの、何らかの引け目を負ったものには鬼にも蛇にもなりえます。このおじいさんの気持ちの中に引け目を感じるものがあるからこそ、人々はこうした態度で侮辱したのでしょう。

 何故、おばあさんがすずめに対して冷たい仕打ちをしたか・・・・つまり、すずめがつまみ食いをしたのは’のり’ではなく、おじいさんだったからです。つまり、このおじいさん、いい年して若い娘にうつつを抜かした色ボケじじいだったのです。そうやって考えると、すずめのお宿の描写も芸者さんが集まるお座敷を連想させられます。

 色ボケじじいに強欲ばばあ。なんとも煩悩深い夫婦ですね。それにしても教育的配慮を施されえた絵本の世界ではおばあさんひとりが悪者のようで、少々気の毒な気がします。

 


 
 

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Gaspard Et Lisa au Musee

 フランス語の勉強にと思って買ってみたら ガスパール&リサ・ワールドにはまってしまって現在居間の本棚にこのシリーズがずらっと並んでいます。

 シリーズの名前は ”LES CATASTROPHES de Gaspard et Lisa”(ガスパールとリサの大惨事)
日常的な子どものイタズラや遊び。それから起こる失敗やハプニング。毎回”CATASTROPHE!”と叫ぶのですが、日本語訳では「ひゃー、たいへん!」とか 「うぁー、たいへん!」と訳されています。フランス語に対してあれこれ突っ込める程の語学力はないのですが、もっと大げさに叫んでいるんじゃないか・・・って気がします。うぁ!一世一代の大惨事!!くらいに。

 実際の内容は大惨事って程のことはないのですが、それに初めて遭遇した子どものあたふたした雰囲気がこのシリーズの主題のようです。この「ガスパールとリサの博物館」も遠足で行った博物館で自分たちが”珍しい生き物”になって、あたかも博物館に陳列された剥製に成りすましてみんなの笑いを誘います。友達から受けたのをいい気になって剥製に成りすましているうちに、周りに誰もいなくなり、館内は暗くなって閉館時刻に。あわててみんなを探すふたり。こういう時、子どもはとっても不安ですよね。

 内容はどれも、そういった日常の何てことないハプニングなんですが、このシリーズの最大の魅力は絵。おそらく油絵で描かれたと思われる筆のあたたかみのあるタッチ。飽きずにいつまでも眺めていられそうです。

 ガスパールとリサを私は最初犬だと思っていたのですが、どうも犬ではないようです。その証拠に他の刊では犬の散歩のアルバイトをしたり、犬を飼ったりしています。ウサギだと思っていた人もいるようですが、もちろんウサギでもないようです。人間の子どもと一緒に学校へ行って人間と同じような生活をしています。でも人間でもないようです。

 最近、小林聡美さんのパンのCMに白い犬らしきものが出ています。あれがリサです。

 


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November 24, 2005

ヘルガの持参金~あっぱれ!働く女

 ラボ(英語教室)の発表会で他のパーティー(教室)の人達が発表していた劇が面白かったので、早速本を読んでみました。
 
 ヘルガは若いチャーミングなトロルで、ハンサムな青年ラースと恋仲です。ところがヘルガは貧乏で持参金がないので二人は結婚する事ができません。ラ-スは金持ちの老人に相談すると、娘の醜いインジと結婚するように薦められてしまいます。ごっそりと積まれた持参金にとうとう結婚を承諾してしまうラウル。
 
 ひとたび悲しみにくれたものの、それじゃあとヘルガは自分で持参金を稼ごうと奮闘します。まず、大量の洗濯物を引き受け、代償として牛を30頭得ます。次にきれいになるクリームを売って金を稼ぎます。最後に金持ちに儲け話を持ちかけ山の木を一週間で全部伐採して、代わりに土地を貰います。
 
 さて、財産を得たヘルガのところにラースは戻ってきて結婚を申し出ます。ところがヘルガは「世界中に男があなたひとりになったとしても、あなたとは結婚しない」と言ってきっぱり断ります。実に清清しいですね。最後に王様に見込まれてヘルガはトロルの女王になってハッピー・エンドです。

 私はなぜかサービス業といわれる業界に縁があって、製造や販売の会社より水が合うみたいなのです。なのでこれまでのサラリーマン人生の大半はサービス業で費やしてきました。サービス業というのは大なり小なり人の弱みに付け込む、というのか人間の愚かな部分に付け込んで商売が成り立っているんですよ。

 いわゆる水商売は女性にモテたい、擬似恋愛をしてみたい男性のスケベ心に付け込んで・・・
 エステティックサロンや美容整形は少しでもきれいになりたい、見掛けにこだわる愚かな女心に付け込んで・・・
 結婚式場や葬儀場などは家族の見栄っ張りな気持ちに付け込んで・・・
 塾やお稽古の教室は、自分の子どもだけ人よりよくしたいという親ばかさに付け込んで・・・

 あるものは怠け者、あるものは見栄っ張り、あるものは貪欲・・・・ヘルガも人間の弱さを上手く利用して商売を成り立ててます。なかなかの商才ぶり。

 昔話のお姫様じゃなくて、こうして自分の手で自分の人生を切り開いていく女の人の話、大好きです。まさに天晴れ!
 
  

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November 23, 2005

ロバのロバちゃん~おもわず演じたくなる本

 息子が幼稚園の頃、毎月一回絵本の配本があって、これはその時買った本のひとつです。

 ロバちゃんは自分の耳が長いのが間抜けに感じてしまいます。そして、どうしたらよく見えるか農場の友達に相談します。耳をたらしたり、横にしたり、前むきにしたり、言われた通りにやってみてどれも失敗に終わります。まさにロバ自身が「ロバを担いだ親子」になってしまうのです。

 息子はこの本がとても気に入って、夜寝る前に「ロバのロバちゃんのご本読んで」とよくねだりました。ロバちゃんはもとより、農場の仲間がみんながとてもユニーク。犬のヘクターくんのセリフはちょっと得意げに、子羊のムクちゃんのセリフはちょっと気取って、ぶたのローザおばさんのセリフはゆーーーっくりと、すずめのダニエルくんのセリフはちょっと高めに早口で、思わず役になりきって演じてしまいます。息子は特にぶたのローザおばさんのところではジリジリして枕をたたいたりしました。
 
 読み聞かせの専門家の方に言わせると、絵本は演じたりへんに抑揚をつけたりしてはいけなくて、ただ淡々と読むのがいいんだそうです。とはいえ、時に演じながら読むのも読み手としては面白いし、聞き手も楽しんでいたので我が家ではこれはありかな・・・と思ってます。いつの日か孫に絵本を読んであげるとしたら、また演じながら読んでしまいそうな気がします。

 

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November 21, 2005

ぼく、お月さまとはなしたよ

 以前noelさんのブログで紹介されていた絵本です。

 子ども、特にとても幼い子どもはなんとなく夢見心地で現実と空想の境があやふやな部分があるんじょないでしょうか。前に紹介した「たんたんシリーズ」もそうですが、この絵本のクマの子も自分の頭の中に描いた世界と現実の世界が入り混じってクマくんワールドが出来上がってます。そのクマくんワールドのなんとも可愛らしいこと!

 お月さまに向かって大きな声で話しかける。クマくんの声がこだまして聞こえる。するとクマくんはお月さまが自分に向かって話してくれたと思う。そしてクマくんはお月さまとお話できた事をとっても嬉しく思う。

 そんな事の繰り返しなんですが、思わずにんまり笑ってしまう絵本です。特にお月さまにプレゼントを渡すシーンは最高です。なんとなく影絵を連想させる絵も物語りにマッチしていて素敵です。

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November 07, 2005

むくどりのゆめ~残された父子の在り方

 「ヒヨだあ!」息子が嬉しそうに立ち上がりました。窓の外を見ると2羽のヒヨドリが電線に止まって我が家の窓を覗き込んでいるのです。一昨年、夫が何気なく投げてやったパンくずに味をしめて、度々ヒヨドリがやってくるようになりました。自転車小屋の屋根の上にパンくずや米粒を少し撒いておくのが慣わしになってしまいました。時には夫が投げたパンくずを空中キャッチしたといって父子で喜ぶありさま。野生の鳥に獲付けすることはなんとなく気が引けるのですが、無邪気に喜ぶ さそり座の男 ふたりを見ているとま、いいかって気になってしまいます。息子はその鳥をヒヨと名づけて親しみました。

 昨年はもう1羽別のヒヨドリがくるようになりました。2羽は仲間というわけじゃなく、ヒヨ2号が獲物を狙おうと飛んでくるとヒヨ1号が「オレの縄張りだぞ」といわんばかりに邪魔をしたりして、むしろライバルのようです。でもなぜかいつも一緒にやって来ます。今年もまた2羽揃ってお出ましです。

 小学校3年生の時の担任のK先生はとても国語に力を入れていて、週1回は必ず作文、週1回は必ず読書の時間がありました。それとは別にガリ版で刷った手作りの絵本を配布してくれたりもしました。他にどんな話があったのかすっかり忘れてしまったのですが、「むくどりのゆめ」だけは何故か覚えています。ピンク色の画用紙を表紙に使って、中はガリ版刷りのわら半紙を袋折にしてホッチキスで留めたシンプルなものでした。

 久し振りにこの本を読んでみて、ジャック・ドワイヨンの「ポネット」を思い出してしまいました。交通事故で母親を失った4歳のポネットは、母の死をなかなか理解できません。父親や周りのおとな達は真正面からおかあさんはもういない事を幼い子どもに説いて聞かせます。このおとうさんの態度は子どもだからと決して侮らない誠実さが感じられます。

 正反対にむくどりのおとうさんは、おかあさんがいなくなった事について何も語りません。むくどりの子どもはおかあさんのいない日々を過ごすうちに、おかあさんはもう死んでしまったんじゃないかと自然に感じるようになります。
このおとうさんからは幼い子どもを動揺させてはいけないという思いやりが感じられます。

 事実をありのままに伝える父親と子どもが自然と受け止められるようになるまで多くを語らない父親。どちらがいいとかいう事でなく、西洋と東洋の感覚の見事なまでの対比ですね。

 余談ではありますが、いもとようこさんの絵は可愛らしいのだけど、可愛すぎるというか、まるでおもちゃ屋に陳列されたお人形やぬいぐるみのようで個人的にイマイチなじめません。

       
                 


 

 

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November 04, 2005

大きな森の小さな家~きれいなおかあさんはすきですか?

 ご存知大草原の小さな家シリーズの第1話です。NHKのドラマで放送されていた、あのイメージが強いのですが、本を読んでみると とうさんはマイケル・ランドンみたいにかっこよくなくて、むしろ‘野暮ったい農民’というイメージ。かあさんもテレビほどは上品じゃなく、インディアンに偏見をもったり、テレビほどは理想的じゃない。

 ローラは自分の両親をDad,Momとは言わないで、Pa,Maと呼んでました。私が大好きなサンフランシスコの女探偵Sharon McConeも同じように呼んでいたのでこの言葉に少し親しみを感じました。Dad,Nomがお父さん、お母さんだとすると、Pa,Maはとうちゃん、かあちゃん、或いは関西風におとん、おかんだったかもしれません。いずれにいても砕けた言い方であるようです。

 今回紹介するエピソードは、おじいちゃんの家で開かれるダンス・パーティーの時の話。ローラ一家はダンス・パーティーのため、おじいちゃんの家へ遊びに行きます。何の娯楽もない開拓時代の中西部だから、おとな達にとってパーティーは凄く楽しみなレジャーだったのでしょうね。

 ローラは控え室でおばさんたちが着替えるのを眺めています。おばさんといっても、まだ結婚していない若い女の人達です。映画「風と共に去りぬ」でスカーレットがやったように、彼女達もコルセットの紐をできるだけきつく締め上げます。その時ルビーおばさんが、ローラのかあさんは結婚する前、とうさんの両手で包み込めるくらいウエストが細かったと話して、羨ましがります。それを聞いたローラは自分のかあさんが誇らしく思えるのです。その後普段着ないようなよそ行きのドレスに着替えたかあさんを見て、あまりにきれいなので近寄りがたい気分になるのです。

 義姉の家に遊びに行った時、夫と姉が子どもの頃自分のおかあさんをきれいだと思っていたと話して笑ったことがあります。姑はあまり‘きれい’と呼べるタイプじゃありませんから。でも私も小さい頃自分の母親をなんとなくきれいだと思ってました。やっぱり。ウチの母もお世辞にもきれいとは呼べないタイプですから。

 小さな子どもにとっておかあさんは何でも出来て、何でも知ってて、やさしくてきれいな女神みたいな存在なんですね。知恵がついて少しずつ物がわかるようになると、いつしかおかあさんは女神から普通のおばさんに格下げされちゃうんですよ。私の弟も幼稚園の頃「ママはきれいだ」と言い張って周囲の笑いを誘ってました。

 時は流れてウチの息子もやはり「ママはかわいくて美人だ」と主張する時期があって、楽しい思いをさせてもらいました。テレビに映る女優さんやモデルさんを指差して「この人とママとどっちがきれい?」と聞くと、「ママ」ときっぱり答えてくれました。藤原紀香よりも松嶋菜々子よりもママはきれいだったんですよ。あの頃は。

 話は本に戻って、私がローラを羨ましく思うのはかあさんだけでなく、とうさんも英雄である事。子ども達が成長してかあさんが普通のおばさんに降格した後も、この家はとうさんがいつまでも英雄でいつづけてるのです。お父さんを英雄のように思える家庭ってなかなかないですよね。特に現代日本のサラリーマン家庭では ちびまるこちゃんちの ひろし みたいにラフな格好してお酒呑みながらテレビ見ている姿しか知らないから、とても尊敬の対象にはなりえません。ローラみたいにお父さんが汗水たらして働いている姿を見ると違ってくるのかもしれませんが。

 ひとつの目安として、子どもが単純にママはきれい、パパはかっこいいと言えるような家庭は案外いい家庭なのかもしれません。

 

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