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October 28, 2005

二十四の瞳~まっちゃんのおべんとう箱

 初めて文庫本を買ったのは小学校5年生か6年生の頃です。ちょうどNHKのドラマで放送されていた「二十四の瞳」(旺文社文庫)を240円で買いました。その当時、子ども向けの本がだいたい500円位でしたから、ちょっと不思議な感じでした。大人の本の方が子どもの本より安く買えるなんて・・・はじめての文庫本を手にして少しおとなになったような気がした瞬間でした。

 この話はたいていの日本人なら知っている、島の分校に赴任した新米のおなご先生と12人の子ども達との交流を描いた、あまりにも有名な話です。その当時の島の子どもたちにとっては、洋服を着て自転車に乗った先生はとっても目新しい存在であったようですが、それ以外は何気ない日常の学校風景が淡々と描かれています。

 これは、子ども達が少し大きくなって本校に通い、再び大石先生のクラスに入った頃の事。その頃、女の子達の間でアルマイト(アルミニウム)のお弁当箱が流行りました。百合の花や菊の花が描いてあるアルミの弁当箱がトレンドだったようです。女の子って昔から小物に凝ったんですね。そんな同級生の弁当箱を羨ましそうに眺めながら、まっちゃんは自分の柳行李の弁当箱を隠すようにして昼食を食べます。まっちゃんの家は貧しくてそれどころじゃなかったのです。

 そんな折、まっちゃんは奉公に出される事になります。わずか11歳でもう働かされるのです。いつの時代も何処の国でも貧乏な家に生まれついた子は、その分苦労を強いられます。奉公に行くまっちゃんに大石先生は百合の花の弁当箱を贈ります。もう学校へ行く事もない、もう必要もない弁当箱を・・・・

 20年後の同窓会、まっちゃんは先生にいただいた百合の花の弁当箱を持ってきました。おそらく一度も使わなかったであろうあの弁当箱を・・・

 大石先生と子ども達とのエピソードはもっといろいろあるんですが、まっちゃんの話は最も印象に残るエピソードです。

 

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October 09, 2005

エレン物語~模範的少女の物語

 子どもの頃、ダンチといわれる建物の中に暮らしておりました。同じ棟の中に同じ学年の女の子が2人いました。優等生のアキコちゃんとちょっぴりお転婆なユカリちゃんでした。ちいさい時は成績も性格も関係なく、とかく身近にいる子と遊ぶもので、このふたりとは何せ同じ屋根の下に住んでるわけですから、他の友達より一緒にいる時間が長かったように思います。小学校はたいてい5,6クラス、中学校は14クラスありましたから、たいてい3人バラバラのクラス或いは誰かひとりだけ別のクラスになる事が常で、例外的に小学2年生のときだけ3人同じクラスになりました。

 私はちょうど2年生の頃から本の面白さに取り付かれ、学級文庫を片っ端から読むようになってました。ある日休み時間に「どの本が一番好き」という話題になり、アキコちゃんが選んだのはご存知バーネットの「小公女」、ユカリちゃんが選んだのが「ナイチンゲール」の伝記、そして私が選んだのが「エレン物語」でした。3冊に共通するのは模範的な女の子の話。この年頃の女の子って素直に模範的なものに共鳴するんですね。

 年月が経つにつれ、この話の内容をほとんど忘れてしまいました。覚えているのはエレンという名前の女の子がなんらかの事情で気難しい親戚のおばさんの家に預けられる話ということ。その他に覚えているエピソードは3つ。

 1.おばさんの家に着いたばかりの頃、エレンの靴下が全部白いと知ったおばさんが、白は汚れが目立つからと全部グレーに染めてしまいました。

 2.ある日エレンは買い物を頼まれ、ひとりで生地を買いに行きました。エレンは必要な分だけ生地を切ってほしいと頼むのですが、店員は全部でないと売らないと頑として言い張ります。他のお客さんが口添えをしてくれて無事目的の生地を買うことが出来ました。ところが、そんなこともすっかり忘れてしまったある日、偶然その店員に再会します。店員は生地を切った事で店をクビになったとエレンを責め襲い掛かってこようとしたところ、偶然通りかかった誰かに助けられました。

 3.友達の家に遊びに行った時、その家のおじさんが遊びにきている女の子たちにプレゼントとしてハギレのいっぱい入った袋を持ってきます。公平に、目をつぶって袋の中から一枚取るということになりました。エレンは自分の番が来た時、ほしいハギレが何処にあるのか見えていました。それをそのまま取ってしまいますが、他の子がその生地を欲しがっていたのを知って、自分はズルをしたので貰う資格がないとその子のハギレと交換します。その場にいた人達が感心しました。

 不思議とどれも皆、布に関するエピソードなんです。

 改めて読み返してみると、上の内容はほぼ合っていました。その他に牧師の娘と友達になり姉のように慕う事やいたずらな女の子にかまわれて嫌な思いをするものの最後には仲良くなる事。アリス(牧師の娘)が死んだ後、彼女に変わって教会で子どもたちの面倒を見たり聖書を熱心に勉強することなどいろいろ思い出してきました。

 原題はWide Wide World 。もともとニューヨークに住んでいたエレンは母親が病気療養のためイギリスへいくこととなり、アメリカのどこかの田舎にある父方の伯母さんのところにお世話になることになります。父親は仕事ばかりに明け暮れて家庭を省みない人で、その辺りにやんわりとエレンを通して作者の批判が見られます。
 母の死後、今度は母方の祖母の所へ忘れ形見として預けられる事になり、イギリスへ渡ります。もともと母方の親戚はアメリカ人との結婚に反対して絶縁状態にありましたが、素直なエレンにほだされていく・・・というところは少し「小公子」に似ています。まさにWide Wide Worldですね。

 今読んで思うのは、エレンをはじめとする少女達がなんか幼い。13歳といえば反抗期も手伝って大人に反発したり、自分はもう一人前という気分で生意気な態度に出たりするものなのに、ここに登場する女の子達はまるで小学生みたいに素直で子どもっぽい。昔の子の方が今の子よりしっかりしていた・・・という先入観を持っていたのでなんか不思議な気がしました。

 かつて私が読んだ偕成社の「エレン物語」は絶版になってしまったようですが、原書は値段が少々お高目とはいえ入手可能のようなので、いずれ購入したいと思います。これは私の7歳時の愛読書なので。

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October 06, 2005

テンプレート変えました

 ブログ初めて半年が経ちました。ここらでちょっくら模様替え、この次は少しシックなデザインにしようかな・・・と思っていたのですが、結局またマロ(このイラストのネコの名前です)のテンプレートにしてしまった。今度は訪問するたびにマロの表情が変わるらしいので、そのあたり楽しんでください。

 最初は自分の書きたいことを書いてストレス発散させればいいや・・・くらいの気持ちではじめたんですが、読んでくださる人がいると思うとなんか嬉しいし張り合いも出ます。他の人の作ったブログを読むのも思っていたより楽しい作業です。新世代、旧世代の文学少年、文学少女の皆さんとお知り合いになれた事がなによりの収穫ですね。これからもどうぞよろしく。

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October 05, 2005

やまのこのはこぞう~ガキ大将のわがまま

 なんとも形容しがたい本です。作者あとがきによると、山の恐さや山の気まぐれを書こうとされたようですが・・・
知っている人も少ないと思うので、あらすじを書きます。

 おばあちゃんの家に遊びに来ていた女の子’かおる’は山に木の実はキノコを採りに行って道に迷ってしまいます。その時どこからか現れたのが山の番人《このはこぞう》。顔はパイナップルくらいのマツボックリ、体は赤松の幹、手足は木の枝、指の変わりに葉っぱがついています。

 かおるが《このはこぞう》の胸に着けてる赤い実を取ったといって騒ぎ立てます。山の動物達は赦してやるよう諭すのですが、《このはこぞう》は山の決まりを守るのが自分の務めだと言って、かおるを裁判にかけます。気が進まない動物たちとは対象に、《このはこぞう》は何としてもかおるを有罪にして罰を与えたいようです。もっと何か盗んだんじゃないかと《このはこぞう》はかおるのポケットをまさぐり、ポケットを破いてしまいます。

 そのことを動物達に責められた《このはこぞう》は、決まりが悪くなってどこかへ行ってしまいます。すると帰り道が開け、かおるは無事山を降りられたのでした。

 子どもの頃、この話を読んで何故か’恐い’感じがしました。今読んでみると《このはこぞう》はダダッ子のガキ大将みたいですね。ちょっとした事を大げさに騒ぎ立ててイチャモンをつける。それだけではなく、仲間をそそのかして強引に自分の味方にする。つまり弱いものいじめをしたり、おとなしい子を自分の思うように動かし権力を示す・・・ガキ大将そのものです。

 この本の存在がどうして気にかかっていたのか自分でもよくわからないのですが、おそらく内容よりもこれが人生最初の課題図書だったからでしょうね。生まれて初めて読まなくちゃいけない・・・と読ませられた本だったわけなのです。


                     ◇やまのこのはこぞう
                 そや きよし 作、 岡田 周子 絵
                       あかね書房  


 

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October 01, 2005

Harry Potter and Half Blood Prince

 やっと読み終わりました。前作は途中で放り投げてしまって、日本語版発売の直前にあわてて読みました。それから比べれば今回はページ数も少なく読みやすかったようです。

 今回怪しげな行動をするのは、ハリーの仲間ではなくマルフォイ。これまで逆境で育ってきたハリーと、お坊ちゃま育ちのマルフォイでは人生経験で一歩ハリーがリードしていた。ハリーの側が余裕をもった態度で臨んでいた。ところが、父親が逮捕され、マルフォイの何かが変わった。自立心が芽生えたのか、ゆとりが見られる。むしろハリーのほうに焦りが感じられる。

 「ハリーもハーマイオニーも恋人とキスしたりしてるのに、あなただけはいつまでも11歳の子どものままなのよ」
妹のジニーに、そんなこと言われたロンも、もう子どもではないようです。皆お年頃なのか、誰かと誰かがくっついたり、誰かが誰かにやきもち妬いたりと忙しい。4話、5話と続いたあの緊張感はどこへ行ったの?と思うくらい比較的平和な学園ドラマが繰り広げられます。

 ところが終盤に入って様相が変化します。もっとも印象的なのは、ハリーが夜の湖に行くシーン。とても幻想的に描かれているのですが・・・・かなり怖い。後でハリーがまるで悪夢のようだったと思い返しています。その後、ホグワーツ全体、いや魔法界全体を深い悲しみが覆います。ただ、暗い結末の中に2組のカップルが細い、けれども鮮明な希望の光を投げかけてくれるのが救いです。

 ハリーをとりまく人々も変化が見られます。もとから友達のようなハグリッドは別として、教師陣が彼をとても頼りにしているのです。一番驚いたのはマゴナガル先生が彼を’ハリー’と呼ぶシーン。生徒にではなく、まるで同士のように。マゴナガル先生が現役の学生をファースト・ネームで呼んだ事はこれまでなかったと思います。

 6話はハリーの話であると同時に、ヴォルデモードの話でもあります。彼の生い立ちや過去が次々と明かされていきます。彼や彼の母親に対して同情を感じる事もなくはないのですが、私が最も気の毒に思うのは彼の父親。少年トム・リドルが父親を憎む気持ちはわからなくもないが、成人して優秀な魔法使いになった彼が、父親こそが最大の被害者であるとなぜわからないのだろう?その辺が彼の最大の弱点なのかもしれない。

 このシリーズ、面白くてすらすら読めたのは4話くらいまでです。5話あたりから正直ダレました。それでも、ここまくると8合目まで山を登った気分です。もう少しだからがんばっちゃおう・・・と。ただ、それだけじゃなく続きが読みたくなるような気に相変わらずさせてくれてます。

 

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