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September 25, 2005

ジャックと豆の木~とるにたりない男の成功

 ジャックというのは英語圏では何処にでもいる平凡な名前の代名詞。ちょうど日本語の太郎のような感じです。びっくり箱はJack in box(箱入り太郎)、ハロウィーンのかぼちゃは Jack-o-lantern(ちょうちん太郎)というように擬人的なものにも使われて親しまれてもいます。 
 
 「ジャックと豆の木」にでてくるジャックは、牛一頭と豆5粒を交換してしまうようなバカ者です。年齢がいくつくらいかはっきり書かれていませんが、おかあさんの話し振りからして一人前の大人でないことだけはわかります。ただ、学校へ行っている様子もなく、母ひとり子ひとりの貧しい家庭で暮らしているからには、子どもといえども大人と同じようにしっかり働かなければならなかったはずです。

 「長靴をはいたネコ」や「わらしべ長者」のようにどってことない主人公が成功して金持ちになる話は多々存在します。しかし、「長靴をはいたネコ」の末息子自体はこれという取柄もなかったけど、お付きのネコが才長けていたために出世できました。「わらしべ長者」は困っている人に手を差し伸べたり、相手の要求を満たす事によって結果的に自分の財産が大きくなっていったのです。

 ところが、このジャックは一体どんな取柄があったのでしょう。敢えて言うなら見知らぬ老人の言う事を鵜呑みにするくらい素直であったこと。大男の奥さんが食べ物を食べさせてくれ、なお且つ大男から命を守ってくれた事から察して人に警戒心を与えない憎めない存在であったことはわかります。ただ、ジャックが子どもだと仮定するなら、それらはどんな子どもにも備わった資質なのでジャックの取柄とは言いがたいです。

 私は個人的には主人公が運がいいだけで金持ちになっちゃう話より、頑張った人が報われるような話がすきです。現実の世界でも一所懸命がんばってる人がついてなくて、たいして努力もしないのに運がいいだけで幸せになっちゃう人がいるのは確かです。世の中公平には出来ていないようですね。

 それはそれとして、この話はやっぱり面白い。大事な牛を豆5粒と交換しておかあさんに叱られた翌朝、ジャックは窓の外に天まで届きそうな豆の木を発見します。ただひたすら登っていった先に大男の家がありました。そこでジャックは大男の奥さんから食べ物を分けてもらい、大男から命を救ってもらいます。

 大男の足音がthump! thump! thump! と響くと途端に緊張が走ります。ジャックは奥さんにオーブンに隠してもらい大男が食べ終わって寝るのを待ちます。

"Fee-fi-fo-fum,
I smell the blood of an Englishman,"
    Be he alive, or be he dead
I1ll have his bones to grind my bread."

        「人が喰いたい どの子をとろか
         イギリス野郎のうまそなにおい
         生きてようと 死んでようと 手当たり次第
         骨を粉にすりゃパンになる」
 
 大男のセリフのFee-fi-fo-fumは西洋の人食い鬼の決まり文句だそうです。この時まさに現実のかくれんぼをしていたジャックの恐怖ったらなかったでしょうね。この歌うようなリズミカルなセリフが読者をよりゾクゾクさせる効果を発揮しています。

 大男の寝ている隙に金貨の入った袋を盗み出したジャックは、二度目は金の卵を産むめんどりを手に入れます。
一度目はただの偶然でしたが、二度目は結果を期待して出向いて行きます。三度目はさすがに大男の奥さんも騙せないと悟り、奥さんのいない隙に家に入り込みます。人間一度チャンスを手にすると成長するのでしょうか。ただのお人好のジャックも知恵が働くようになってきました。

 ところが、三度目は思いもよらないことが起こります。ジャックが手にした金のハープが「ご主人様、ご主人様」と大男に訴えかけたのです。その声に大男も目を覚ましジャックを追いかけてきます。さあ大変、豆の木を下へ下へと降りるジャック。上からは大男が迫ってくる。この時読者はすっかりストーリーの中に取り込まれて無意識にジャックを応援しているのです。その臨場感こそ、この物語の一番の魅力ですね。

 自分の家までたどり着いたジャックは斧で豆の木を切り倒し、大男を退治します。そして、金持ちになりいつまでも幸せに暮らしました・・・と終わります。

 運だけで成功を手にする人もいないわけではないけれど、成功する人はやはり何かしら資質を持っているのが原則です。なんてことない人が成功を収める・・・というのは大昔からの人間の原始的願望のひとつなのかもしれません。

 


 

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September 20, 2005

タンタンのずぼん~○○才以上お断りの絵本?

 娘が2歳くらいの頃、よく読んであげた本です。おばあさんがつくってくれたタンタンのずぼんは大きすぎてブカブカ。ずぼんつりはのびのび。だけど、このずぼんはブランコになったり、電車になったり、ヨーヨーになったり、おとうさんのおんぶ紐になったりと変幻自在。

 2歳くらいの子ってみんなそうなんでしょうか、娘は昼間はおとなしくいい子にしているのに、夕方片付け物や食事の準備をはじめると、ぐずぐず甘えてきて足元にまとわりついてくる困ったちゃんになってしまいます。そんな時よくこの「タンタンのずぼん」を暗誦して聞かせました。洗濯物をたたんだり、包丁を握っていたりするので、とても絵本なんか開けません。何度もくりかえし読んであげていた本だったので私も暗記するくらい覚えていたんですね。そんな状態でも、お話してあげるとにこっと笑って少しご機嫌が直ります。バッグの中にすっぽり入る小さい本なので、お出掛けの時も重宝しました。

 「タンタンのハンカチ」、「タンタンのぼうし」などこのシリーズは、どれも身近なものがいろいろと形や役割を変えていく”身近な空想”がテーマです。そして1ページ1行というページ配分が小さな子どもでも飽きないで本に集中できたのだと思います。

 ラボのテューター・スクール(英語の先生になるための学校)の絵本の授業と時、好きな絵本を何冊か持ってくるように言われ、この本を持っていったら担当の先生に露骨に嫌な顔をされました。

 その後、ラボの研修の時、ベテランの先生の間で いわむらかずお の絵本はよくないという話が持ち上がりました。すかさず私が「でも、うちの子タンタンが大好きなんですよ」と言ったら、「若いお母さん達にそう言われる度に私、がっかりしちゃうの」とひとりの先生が落胆していました。

 その先生達に言わせると、絵本はあくまでも物語、起承転結のあるストーリーの媒体であるべきというのです。だからタンタンだとか「いないないばあ」のシリーズのような遊び感覚の絵本は許せないらしいのです。言いたいことはわからなくもないのですが、私は本という媒体に親しむのにはいいワンステップだと思います。

 言われてみていろいろ考えてみたのですが、この本の絵の動き、変化の仕方はかつてテレビで見たアニメーションそのものですね。ポパイにもトゥウィーティーにもミッキーにも通じる動きがそこにあります。

 つまり小さい頃からアニメを見て育った世代とアニメという媒体にあまり親しまなかった世代との間に明らかな壁を見たような気がしました。私の子どもたちはゲーム世代。やはりアニメ世代の親達とは異なるメディアの捕らえ方をするのでしょうか。


     

 

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September 19, 2005

Guri and Gura~想定外のおおきなたまご

 ぐりとぐらの英語版を読みました。タイトルは"GURI and GURA-THE GIANT EGG" 最初に「ぐりとぐら」を出版したときは、中川:大村姉妹もこんなに人気が出てシリーズ化するとは思ってなかったのではないでしょうか。英語版は最初からシリーズを意識してか、THE GIANT EGG がメイン・タイトルになっています。

 ぐりとぐらは森にクリやどんぐりを拾いに行きます。それは彼らにとっては日常的ないつもの事。ところが通り道沿いにドカッと横たわるおおきなたまご。ふたりがこれまでに見たことのないくらいの大きさ。家に持ち帰る事も出来ない。それならとその場で料理する事にしたものの、たまごの殻が素手で割れない。フライパンは大きすぎてリュックに入らない。それなら引きずっていく。ふたは転がしていく。

 予想外のものにぶつかった度に、ひとつひとつ解決していくぐりとぐら。生きていく喜びは想像を越えたものに出会う事。そしてそれを消化していく事。出会うものすべてが想定の範囲内になってしまったら、さぞやつまらない人生でしょうね。

 以前このブログの中でこだわった‘カステラ’は'sponge cake'と訳されていました。原作者の意図を汲んだようですね。他にも英語ではこう表現するんだ、といろいろ発見があり、絵本は語学のいい教材である事を再確認しました。


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September 11, 2005

やまのこのはこぞう【尋ね本:1】

 漢字交じりで書くと「山の木の葉小僧」でしょうね。小学校1年生の時の課題図書でした。その頃は今みたいに何冊もある課題図書の中から1冊を選ぶといった選択の自由がなく、大きな茶色い封筒に入った本が一週間ずつ順番に回ってきて、読んだら次の人に回すという段取りでした。ただ、一週間のうちに読み終わらない人や、夏休みなので何日も出かけてしまった人がいたりして、自分の所に回ってくるのはずいぶん予定をオーバーしていたりしました。

 実はこの話、タイトルの他はほとんど何も覚えてないのです。山の中で道に迷ったか何かした主人公ようなの男の子(だったと思う)は、’このはこぞう’と出会う。そしてこの’このはこぞう’がなんだか怖かったような記憶があります。その記憶自体もかなりあやふや。

 ’このはこぞう’は人間じゃない何か別の生きもののようで、なんだかコワイ感覚とさみしい雰囲気が漂っていたみたいです。びゅーっと風が吹き抜けるようなイメージが微かに残ってます。

 どなたかこの本について知ってらっしゃる方、どうぞ情報をお願いします。原作者、出版社、どういったストーリーか、何でも結構です。おそらく、もう廃盤になっているのでしょうが、何故か気にかかる一冊です。

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怪盗紳士~巨匠が盗んだプロット

 ポアロにホームズ、金田一くんに明智くん、ミステリーの定番は一通りかじっているのですが、何故かルパンには縁がなくて数年前に堀口大學の「強盗紳士」の中の「ルパン逮捕される」を読んだきりでした。堀口大學は19世紀の詩の翻訳は右に出るものはないけれど、やはり文章が古めかしくて読みずらかったです。この南洋一郎訳は子供向けに編集されているらしく、気楽に面白く読めました。

 南洋一郎という名前は、かつて「小説ジュニア」に青春小説が載っていたのを記憶していたのですが、明治26年生まれと知って驚きました。小説を読む限りそんなに年配の作家とは思えませんでした。しかも昭和55年に亡くなっていらっしゃる。つまり私が読んだ「小説ジュニア」の作品は遺作に近い作品だったわけです。

 さて、この本の第2話「サタン男爵の盗難事件」を読んで、ぶったまげました。江戸川乱歩の少年探偵シリーズに、そっくりな、というか瓜二つの話があったからです。

 〔怪盗ルパン:怪人二十面相〕から予告状をもらった依頼人が、たまたま近くに休暇で来ていた〔ガニマール警部:明智小五郎〕に事件を依頼する。しかも両探偵とも釣りをしていたところで依頼を受ける。予告された夜、〔ガニマール警部:明智小五郎〕は部下を連れてやって来る。〔名警部:命探偵〕は部下に宝を見張らせて、自分は居眠りをする始末。不安がる依頼人もつられて寝てしまう。朝起きてみると、部下は麻酔で眠らされて、絵画や宝石はごっそり盗まれていた。しかも〔名警部:名探偵〕だと思っていた人物は実は〔ルパンの部下:二十面相本人〕だった。

 ここまでくると、もう盗作としか言いようがない。江戸川乱歩といえば日本を代表するミステリーの巨匠。そんな人物がこんなにあからさまにプロットを盗んで、公然と出版されている。なんか、腑に落ちない。

 とはいえ、ルブランの側には何の責任もありません。ルパンは魅力的な人物でストーリーも面白かったのは確かです。特にルパンの子ども時代のエピソードを書いた「ぼくの少年時代」は、ますますルパンに親近感が沸いてきます。



       


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September 01, 2005

どんなにきみがすきだかあててごらん

 息子が4年生のとき、ラボ(英語教室)の発表でこの劇をやりました。彼は英語はおろか日本語のセリフもなかなか覚えられないのに、チビウサギの役をやると聞いてびっくり。ただし主役のくせに彼は一言もしゃべらず後ろに並んで立っている大きな子達が順番にストーリーテリングしてくれて、彼とデカウサギ役の子がその語りに合わせてパントマイムのように動く段取りでした。セリフを覚える苦労から開放されてか、からだと表情だけで一所懸命行った演技はなかなかのものでした。4年生でチビウサギはちょっと大きいんじゃ・・・という周囲の心配をよそに結構かわいいチビウサギでした。そんな事があってか我が家ではこの絵本に対する思い入れもまして、勝手にあのウサギたちを「どんなにうさぎ」と呼んで親しんでいました。

 先日新宿の紀伊国屋で、洋書売り場のワゴンの中に’スポンジ・ボブ’や’はらぺこあおむし’と一緒に、’どんなにうさぎ’のぬいぐるみがありました。息子は男の子のくせに(?)ぬいぐるみが好きで、買って欲しいとそぶりで表しました。さすがにストレートにほしいとは言いづらいみたいなんです。そこで手のひらの上にのる小さな’どんなにうさぎ’たちを買って帰りました。

 さて、このチビウサギはデカウサギが大好きで、とってもすきなことを一所懸命表そうとします。でも、両手を広げても、背え伸びしても、ジャンプしてもデカウサギにかないません。次から次へと大好きを表現するチビウサギの姿は、もう涙が出るくらい可愛らしい。息子も「チビがいるからこの話はいいんだ」なんて生意気に語ってました。

 「三匹のやぎのがらがらどん」がどういう関係かはっきりわからないように、この2羽の関係もはっきりしません。英語の原文はそれぞれ he となっているからオスであることだけはわかるのですが・・・がらがらどん3匹の関係が何であっても、実はそれほど興味は沸かないのですが、この2羽の関係は非常に気になります。受け取りようによって親子とも兄弟とも友達同士ともとれるんですから。

 私の主観的な考えだと、兄弟というのは生まれながらに親友であると同時にライバルでもあります。なのでこんなにストレートに愛情表現はしないんじゃないかと思います。友達というのも考えられなくはないのですが、ちいさい子が大きいお兄さんを慕うのはありえるとして、大きい子のほうが小さい子に対して同等かそれ以上に愛情をかける事はあるかな・・・と少々疑問。そうして考えると父と子というのが一番しっくりくるかな、と思います。Amazonのレビューを見ても自然と親子と捕らえている人が多かったですね。

 それでも、やっぱり兄弟じゃないかな、友達じゃないかな、と余韻を残すところがこの絵本の魅力のひとつですね。翻訳のほうも、お互いをキミとボクと呼んで敢えて関係がわからないようにしているんじゃないでしょうかね。

 
      
 

 

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