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August 27, 2005

ココナッツの香る島から

 ハワイへ行ってきました!7年ぶりの海外です。日本と同じように、じわっと暑いのかと思ってましたが、意外にカラっとしていて、あまり汗をかかずにすみました。日差しは強いけど涼しい風が吹いてくるし、空気は澄んでいるし、楽園というのもうなずけます。何処へ行ってもココナッツの香がして、それがあんまり気にならないんです。

 正味3日の間に市内観光して、ワイキキビーチとハナウマ湾へ行って、ダイヤモンドヘッド上って、タンタロスの丘で夜景見て、買い物もしてとかなり忙しかったけど充実していました。

 私は泳げないので海に入ってもすぐにビーチに上がってきてしまいます。それで家族が泳いでいる間暇になるので’ハリー’でも読もうと思って持って行ったんですが、ワイキキではカナダ出身のハワイアンのおばあちゃんと、ハナウマ湾ではインド出身のアメリカ人旅行者のきれいなおねえさんと、つたない英語でおしゃべり出来ました。やっぱり海外へ行ったら外国の人と過ごせるのが一番ですよね。

 さて、本も是非購入したいと思ってましたが、ワード・センターには時間がなくて行けなかくて、アラモア・ショッピングセンターの中にあるボーダーズ(本屋)のみ行きました。日本に売っていないものを・・・と探したんですが・・・
 
 Marcia Mullerのミステリーを2冊とMargaret Wise Brownの RUNAWAY BUNNY と HOME FOR A BUNNY の2冊を買いました。結局日本の洋書店で買えうるようなものばかりでした。


 

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August 15, 2005

ぐるんぱのようちえん~生きる厳しさと希望が見える一冊

 昨日、シゲノさんという学生さんのブログに遊びに行ったら、重松清の「ナイフ」はのレビューが書いてありました。ーー”いじめられる側にも責任はある”という人とは私は一生友達になれないーーという強い主張に触発されてコメントを寄せてしまったのですが、送った後すこし後悔しました。若い人が純粋な正義感ゆえに書いたことばに水を差すようで、私ってなんて大人気ないんでしょう。

 私は人間というのは万民共通にやさしい面といじわるな面を持ち合わせているのだと思います。周囲の状況でやさしくも、いじわるにもなるのですよ。平社員の時、とても穏やかないい人だった人が、役職者になった途端部下をいびったり、しごいたりすることは通常よくあることです。人間がこの世に存在する限り、いじめはなくならないでしょう。
 
 いじめられる側にも責任がある・・・というのも一理あると思います。いじめられる子というのは弱い部分を出してしまったり、他人に不快感を与えてしまったりと、まあ、不器用なんですよね。私が小さい頃はとても弱虫で、ぶたれるとすぐ泣いてしまう。泣くから面白くなって、またいじめる・・・という悪循環が働いていました。すぐ泣く子って端から見るとやはりムカツクところはありますよ。

 小学校3年生の時がピークだったんですが、その後学年が進むにつれて暴力をふるわれるようなことはなくなりました。ただ、一旦いじめられっ子のレッテルを貼られるとそれはなかなか抜けない。どこかであの人は自分達とは別物、1ランク下の人間って色眼鏡で見られました。それは義務教育終わるまで何気についてまわってきました。

 ぐるんぱのように過去のしがらみを経つのもひとつの解決策ですね。私の場合、遠くの高校へ通ったことによって、そのしがらみから解放されてのびのび過ごせました。不思議とその後、過去に似たような経験をもった人と何人か知り合いになりましたが、結構明るくてバイタリティあふれた人が多いんですよ。小さいときにいじめられる経験をしちゃった方が後々楽なのかもしれない。子ども時代平穏無事に過ごし、大人になってからいじめにあうほうが大変でしょうから。

 さて、「ぐるんぱのようちえん」は読むより先によりラボのCDで聞きました。ぐるんぱがさみしいよーと洩らす場面は何か重たいものがのしかかってくるようで辛くなりました。それでも後半の一所懸命頑張るぐるんぱの姿は希望を与えてくれます。

 ぐるんぱは何故ゾウの仲間から嫌われたか?臭くて汚かったからです。おそらく不精者だったのでしょう。周囲に不快感を与えてしまうものは、どうしても尻尾をつかまれやすいんですよ。

 ぐるんぱを追い出す時、体をきれいに洗ってくれたことはゾウ達からのせめてものはなむけですね。人間社会にやってきたぐるんぱは特に嫌われている様子はありません。きっと自分でも気をつけて清潔を保ってたのでしょう。そうでなきゃお菓子工場でなんか働けないですもの。

 なかなか上手くいかないもので、ぐるんぱが作り出すクッキーもお皿も靴も自動車もピアノも、み~んな大きすぎて使い物にならないと、次々とクビになってしまいます。それでも負けずに頑張るぐるんぱ。最後には子だくさんのおかあさんの子ども達の面倒を見ることになります。みんなでクッキーを食べ、大きなお皿や靴や自動車は子ども達の遊具になり、大きなピアノを伴奏してぐるんぱが歌う・・・

  マイナスをプラスに変えた素敵なハッピー・エンドです。希望を与えてくれると同時に、やはりズシリと重たい本ですね。



     

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ヘンゼルとグレーテル~喰うか喰われるかの物語

 英語教室の仕事をしていた頃、英語劇の発表を今年もやるかとの問いかけに子ども達は二つ返事で答えました。演目も「ヘンゼルとグレーテル」に直ちに決まり、配役も問題なく決まり、早速練習に入ったのですが、さて困った。子ども達がセリフを覚えられない。そのクラスは前の年「ももたろう」をやったのですが、特に苦労することなくセリフも覚えてしまいましたので・・・

 リズムがない!!そう、スキットを組み立てていた時から感じていたのですが、「赤ずきん」や「3匹のコブタ」にあるような会話のリズムが、「ももたろう」にあるような語りのリズムがこれにはないのです。ことばは、ただ単に簡単だからとか習ったことばだから覚えられるという訳ではないんですね。

 お母様方のたっての願いで、土曜日に特訓をして無事発表会は成功しました。それにしても、その年のそのクラスのお母様がたの気合は相当なものでした。それぞれの衣装も完璧に役になりきっていたし、実家が大工さんというトオルくんはお父さんと張りぼての木を作ってくれ、ヒトミちゃんのお母さんはファンタスティックの魔女の家の背景を描いてくれ、アズサちゃんとアイちゃんのお母さんは段ボールでかまどをこしらえてくれました。

 ビデオ撮りしてくれた常務もひどく感心して、「しかし、あの舞台セットは凄い。先生、ご父兄から余程 信頼されてるんですね」とお褒めのことばをいただきました。

 実は演目が「ヘンゼルとグレーテル」に決まったときから、私自身あまり気がすすまない部分がありました。というのもこの話が実際あまりすきじゃないからでしょうね。

 貧しいからとはいえ、子どもを捨てる親がいて、お菓子で釣って文字通り子どもを食い物にする魔女がいて、自分の身を守るため魔女を殺すまでは仕方ないとしても、魔女の家の宝物を盗む子ども達がいる。物凄いサバイバル・レースですね。もし、魔女を殺さなければ自分達がやられてしまう。貧しいから追い出された訳だから、手ぶらで帰るより宝物を持って帰った方が家においてもらえる。善悪よりも自分達の命を繋ぐ方が先。アドベンチャー・ゲーム以上の世界です。

 さて、原作のような悪いお母さんは嫌だという子ども達のたっての願いを聞き入れて、ラスト・シーンはお父さんとお母さん、2人が子どもを捨てたことを後悔している場面ではじまります。そこへ宝物を持ったヘンゼルとグレーテルが帰ってきて感動の再会。宝物を差し出したヘンゼルにお父さんは首を横にふりこう言います。
  "You are my treasures!"

 お恥ずかしながら私のラテン系の父親はよくこう言ったものです。「お前達はパパの宝物だ」と。こんなところで拝借してしまいました。日本語で言うと気障ったらしいことばも、英語だと自然に聞こえるのが不思議ですね。

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August 12, 2005

おかあさんのたんじょう日~父性との出会い

 縁あってラボ・テューターという仕事を2年ほどしていたことがあります。いわゆる子どもの英語教室の先生みたいなものなんですが、普通の英語教室とはこれがまた随分違うんです。普通の英語教室みたいに遊びながら英会話の練習をするでもなく、塾みたいに読み書き文法を習うでなく・・・やり方としては英語の歌を歌ったり、芝居みたいなことをして英語と触れ合っていくんですが・・・よその英語教室に比べると英語の習得率はよくないですね
(^ー^)

 一風変わった教室でして、英語はコミュニケーションの手段。なので英語を覚えるより人とコミュニケーションする力をつける・・・人前で自己表現できるようにしたり、知らない人と人見知りしないですぐ仲良くなれる・・・みたいなことをひとつの目標にしています。 また母国語教育にも力を入れていて、教材のCDも英語と日本語が5:5で吹き込まれていたり、日本語でのことばのやり取りや表現も重視します。母国語で上手に表現できる(話せる)子は外国語でもできるという理論に基づいています。

 さて、私がテューターをしていた頃のある日、幼児のグループに絵本を読んだあと子どもたちにストーリーについて質問します。

 「最初にダニーが会ったのはだれ?」
 「にわとりー!」
 「にわとりはオトコ?オンナ?」
 「おんな!」
 「どうして?」
 「だってオンナじゃないとたまごうめないもん」
 「その次はだれに会った?」
 「がちょう!」
    というふうに語り掛けを続けます。

 そのグループの子たちはお話の内容はちゃんと理解していました。ダニーはめんどり、がちょう、やぎ、ひつじ、めうしと順に訪ねて行って、おかあさんへの誕生日プレゼントを相談します。めんどりは卵、がちょうは枕にする羽、やぎはチーズ、ひつじは毛布にする羊毛、うしはミルクをあげようと言ってくれるのですが、ダニーはもうあるからと断ります。私はそれぞれの動物についてオトコかオンナかを訪ねました。がちょうだけは意見がまとまりませんでしたが、他の動物はみなオンナと答えました。なぜ?という質問に対してはめんどりはオンナじゃないと卵うめないから、やぎとうしはオンナじゃないとミルクがでないから、ひつじはなんとなく。

 私が何故こんな質問したかわかりますか?オス、メスではなく敢えてオトコ、オンナで聞いたのは・・・実は英語版ではそれぞれMrs.Hen,Mrs.Goose,Mrs.Goat・・・となっていてあとで出てくるくまだけがMr.Bearなんです。英語を聞きとれればわかることなんです。でも、そのグループの子は残念ながら英語に感心を持っている子はいませんでした。その代わり5歳児ならではの知識とカンで答えてくれました。

 英語を意識させようと何気なく問い掛けたことばですが、あとでこれが結構意味があったことがわかりました。
卵を産む、乳を出すというのは”おかあさん”を象徴します。羽毛の枕や羊毛の毛布はあたたかくほんわかしたイメージ、つまりこれも”おかあさん”をイメージします。

 さて、動物たちからは目新しいものが得られないと知ったダニーはひとり森の奥に住むくまさんのところに相談に行きます。おそらくダニーの家では自給自足のために動物たちを飼っていたのでしょう。つまりおかあさんの目の届く庭から、ちょっと遠くの森まで行ったのです。しかもくまは大きくて強くてコワイ・・・父性を象徴しています。

 おかあさんの愛情に包まれていた子どもが、一時おかあさんの手を離れて父性的なものと出会う。ちいさな冒険そして成長の物語です。

   


 

 

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August 07, 2005

木を植えた男~プロヴァンスの歴史はいかに?

 最初に読んだ時はてっきり実話だとばかり思いました。あとでこれが創作だと知ってなんだか不思議な気持ちです。実話並みの説得力がありましたから・・・

 「アンルーリー~復讐の街」という映画を見たことがあります。主演がヴァンサン・カッセルというだけで見たのですが、正直言ってたいした内容じゃありませんでした。マルセイユのチンピラたちの物語なのですが、一体何を訴えたいのか製作者の意図がいまいちはっきりしません。ただ、ひとつ救われるのは原題が"Mediterranee"(地中海)というだであって南フランスの景色。白い漆喰の壁にタイルを貼った家。黄色やオレンジの鮮やかな色の家具や調度品。それから樹々の緑と青い海。私にとって南仏は憧れの土地なんです。

 ゾラの「居酒屋」の中で夫のクーポーが妻の元愛人のランチェを「あのプロヴァンス野郎」と小ばかにするシーンを思い出しました。パリに生まれ育った者にとってはプロヴァンスなんて物凄い田舎なんだろうな、しかもその当時は「木を植えた男」の前半の絵みたいに貧しかったんだろうな・・・・などと思い巡らせていたのですが・・・

 あの羊飼いは実在しないけれど、ジェルヴィエーズとランチェがパリに逃げてきた頃のプロヴァンスはやっぱり貧しかったんじゃないかという気がしてなりません。オレンジやレモンの実がたわわに実った豊かなプロヴァンスの景色は、誰か(多分無数の多くの人達)の努力によって築かれているんじゃないかと。どの程度までが真実なのか確かめてみたくなりました。

 そこに山があるから山に登るような、結果や評価を省みないひたむきな羊飼いの姿に感銘を受けるストーリーです。絵は後半の緑豊かな景色より、前半の荒涼とした景色が不思議と印象に残る本です。


     

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ふたりのロッテ~優等生ロッテとおてんばルイ―ゼ

 ”子どもの家”とは裕福な女の子達が夏休みを過ごすための施設です。その”子どもの家”で、両親の離婚によって離れ離れになった双子の姉妹が再会します。ふたりは休暇中にある相談をします。それはーーー顔そっくりなふたりが入れ替わること。

 おかあさんは、お利口さんなロッテが急に活発になって、成績は落ちるは問題は起こすはで大弱り。それでも、今まで自分がしっかり者のロッテに頼りすぎていたんじゃないかと反省し、天真爛漫なルイーゼとの生活を楽しみます。

 一方、ルイーゼと気ままな生活を送ってきたおとうさんは急にいい子になった娘に面食らいます。しかし、その変化が作曲家としてのインスピレーションをそそり、次々に新しい曲が生まれます。

 ロッテの病気によって家族が揃い、またみんなで暮らすというハッピー・エンドで終わるのですが、この話のいいところは”家族はこうあるべきだ”というふうに説教臭く書いていないことです。編集者と作曲家、家庭人の枠に納まらない自分の世界を持ったおとな達の家庭におけるあり方。顔は似ているけれど性格は正反対な子ども達のあり方。むしろ自分らしく生きることの意義とむずかしさを問題提起しているように思えます。

    

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長くつ下のピッピ~強く頼もしい女の子の話

 ピッピはおかあさんとは死に別れ、船長のおとうさんは航海中のため、たったひとりで”ごたごた荘”で暮らしている。学校も行ってないから字も読めないし計算もできない。でも、料理だって洗濯だってひとりでやってしまう。

 三つ編にしたおさげ髪にながーい靴下、ぶかぶかの靴。いでたちからして個性的。誰にも何も言われないから好きなときに好きなことをやって自由気ままに生活している。(うらやましい!)

 それでも正義感は強くていじめっ子をやっつけてしまう。この本のサブ・タイトルは「世界一強い女の子の話」そう、ピッピはアラレちゃんもまっさおな怪力少女なのです。

 ある日、ピッピを施設に入れようとお巡りさんが2人やってきます。ピッピはまるで鬼ごっこをするみたいにお巡りさんから逃げ回り、最後は大きな鞄を持つみたいにお巡りさんのベルトをつかんで外へ放り投げてしまいます。その場面はなんとも抱腹絶頂!アクション・コメディー映画を見ているみたいです。

 家に押し入った泥棒もあっけなく退治して、許してあげる代わりに字を教えてもらったりします。ほんとうにこんな女の子が実際にいたらさぞ面白いでしょうね。親と離れてひとりで暮らしている子がこんなに素直に育つかしら?とちいさな疑問は残るものの、強くてたくましい女の子の話は痛快この上ないです。


       

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August 04, 2005

にじいろのさかな~”きれい”は人の心を動かす

 以前からこの絵本の存在は知っていて、きれいな絵だなあとは思ってましたが、表紙を開くことは何故かありませんでした。色鮮やかなボディーに銀色の光る鱗を持つにじ色のさかなはみんなから「きれいだね」と言われ得意になってました。ところが銀の鱗を欲しがる仲間のさかな達の誰にも鱗をあげなかった為に一人ぼっちに・・・同じ作者の「ミロと魔法の石」を思い起こさせるお話です。

 きれいな女の人はわがままだとよく言われます。必ずしもそうだとは言い切れないけれど、きれいな人は常にまわりの人達から注目され、何かと目をかけられるため、自己中心的になりやすいのは、まあ必然的かなと思います。男の人は当然きれいな女の人をそうでない人よりひいき目に扱います。そればかりでなく女同士でもきれいな人はなんとなく甘やかされています。それは女の人が男の人より”きれいなもの”に対するこだわりが強いからではないでしょうか。

 人間は外見じゃない中身だ・・とよく言われますが、男の人でも女の人でも”きれいな人”を見るとそれだけで楽しい気分になってしまいます。お洒落をすると自分自身も楽しいけれど、着飾っている人を見ているのもまた、なんとも気持ちがうきうきしてくるものです。外見にとらわれるのは確かに愚かなことです。でも人間はみな愚かな生きものなんです。

 自分の大切な銀の鱗を誰かにあげてしまうのはもったいない。誰にもあげないでいたら誰からも相手にされなくなってしまった虹色のさかな。ふとしたきっかけで一匹のさかなに銀の鱗を一枚あげた。鱗をもらったさかなは大喜びで泳ぎ回る。それを見ていた虹色のさかなもなんだかたのしい気分になってきた。一枚一枚銀の鱗をあげることによって増えていく仲間達・・・自分の美しさは殺ぎ落とされてしまうけど・・・ストーリーは少々説教臭いど、色彩があざやかな素敵な絵本です。

                           
 

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