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July 24, 2005

トルストイ版:3びきのくま

 先日ココフラッシュで「3びきのくま」というタイトルを見つけました。noel さんという方のブログで、この本が紹介されていました。noel さんいわく、ここに出てくる女の子はスープの味、椅子のすわり心地、ベッドの寝心地をそれぞれ試してみて”ちょうどいい”を発見する話なんだと。はあーー!ちょっと新しい発見でした。私はそれまで、どちらかと言うとクマの視点で物語を捕らえていました。女の子の視点で捕らえると、そういう発想ができるんですね。

 確かによくよく考えればこの子はまだ子どもなんですよね。子どもであれば自分勝手に振舞って周りに迷惑をかけちゃうことなんか日常茶飯事ですね。最近では自分の好みもはっきりわからないような子が時々いますが、あれなんかも親がなにもかも決めてあげちゃって、与えてあげちゃうので自分で試行錯誤して選ぶ実体験がたりないのでしょう。ひとつひとつ手にとって試してみることって大切ですね。

 さて、バスネツォフ氏の絵に描かれるクマたちは、どこか獰猛さを備えた力強さがあります。女の子を発見した後も、逃げていく女の子をただあっけにとられて見送るのではなく、怒って追いかけていきます。やられっぱなしで終わってしまうジェイコブズ版のクマと異なり自分達の主張もきちんと通します。

 ジェイコブズに代表される西欧の話と一番違うのは、トルストイ版は女の子に名前がなく、反対にクマたちに名前があること。父がミハイル・ペトノビッチ、母がナタ―シャ・ペトロ―ブナ、子どもはミシュートカです。ナタ―シャやミハイルはロシア文学でよく目にする名前なので、おそらくどこにでもあるような名前をつけたのでしょう。

 以前ジェイコブズ版の紹介をした時、ゴールディーロックスはイギリス人、クマは植民地の現地人という私なりの勝手な発想を書いたのですが、名前があることによりゴールディーロックスは文明人的に、名前のないクマたちは蛮人的な印象を与えるのでしょう。名前を得たことにより、トルストイ版のクマ達は文明文化を担って生活しているのだと感じさせられます。

 女の子の方も、ゴールディーロックスの名前の印象からくる’可愛い金髪の女の子’といったイメージはなく、絵の方もどちらかというと地味で、取るに足りないちっぽけな印象を与えます。トルストイ版を強引に比喩してみると、
クマはロシアの平民、女の子は旧ソ連の社会党幹部・・・でしょうか?


           


 

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July 21, 2005

おやすみなさいおつきさま~‘静’を感じさせる絵本

 サイモンとガーファンクルの代表作、というか映画「卒業」のテーマソング"Sound of Silence"はあまりにも有名なので今更説明する必要はないでしょう。いつか、あの歌の対訳を読んだら「沈黙の音」となっていました。う~ん。私だったら「静寂の音」にするな。沈黙だと主体的に音を出さない印象があるけれど、あの歌のシチュエーションはすでに音のない世界に自分が浸っている感じがするので、静寂のほうがしっくりくる気がするんです。

 この絵本もある意味”Sound of Silence"を感じさせられます。ただし「卒業」のテーマのような寂寥感はなくて、やさしく包まれるような“静けさ”があります。まったく音がないわけではなく、時計が時を刻む音、暖炉の火の燃える音、おばあさんの「しーーっ」っていう声が、ウサギの子がまどろみ、眠りにつく間にすこーしずつ小さくなって消えていくのが絵を見ているだけで伝わってきます。

 それから同時に”光”も感じさせる絵本です。ドール・ハウスの明かり、ランプの明かり、暖炉の火の明かり、そして月や星たちの明かり。眩しくないやわらかい光はまさしくウサギの子を包んでくれています。これといったストーリーがあるわけじゃないけど、やさしい気持ちにしてくれるまさに芸術です。

 この本はできれば英語で読んでいただきたい。幼児向けの簡単な英語なので誰にでもわかりますし、英語の語り口のリズムがなんとも心地いい作品です。


    

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July 19, 2005

ピノッキオの冒険~ビバ!イタリアン

 ピノッキオの故郷はイタリア。我々日本人はグリム(ドイツ)、アンデルセン(デンマーク)、ジェイコブズ(イギリス)、ペロー(フランス)、イソップ(ギリシャ)などの昔話。それから「トム・ソーヤ」や「大草原の小さな家」などのアメリカの児童文学には親しんできました。
 
 ところで、イタリアの児童文学って何があるかご存知ですか?「クオレ」とすぐに出てきた人はなかなかのツー!
「クオレ」というより、その中の1話「母を訪ねて三千里」といったほうがわかるんじゃないでしょうか。あとはたまねぎの坊やが活躍する「チポリ―の冒険」がありましたね。

 おとなの読むような本も、実はイタリア文学って日本にはなじみが薄く、ダンテの「神曲」のような古典を除けば、せいぜいボッカチオの「デカメロン」くらいでしょう。あと、最近ではスザンナ・タマ―ロがいましたね。料理やファッションに比べるとイタリアの書物は驚くほど日本に浸透していないのがわかります。

 ピノキオというとディズニーの映画を思い浮かべる人が多いと思いますが、原作を通して読んでしまうと「あれは何?」って気分になります。原作はもともと新聞に掲載された読み物だったので、わりにだらだら長いーーーというのも作者のコルローディーはいい加減やめたいと何度と話を終わらせようと試みたものの、読者からの「終わらせないで!」という熱い声援に答え、しぶしぶ続けたからとか。なんせ原作の登場人物は実に人間臭い。映画のゼペットじいさんは、ただのやさしいおじいさんだけど、原作のジェッペットじいさんは、そもそも金儲けのためにピノッキオを作ったり、もろこしじじいと言われカッとなって喧嘩したりとなかなか人間味あふれています。

 そのほか、ずる賢いけど不思議と憎めないキツネとネコや、一度はピノッキオを薪代わりに焼いてしまおうとしながら、同情して助けてくれる火喰い親方など、人間臭くエネルギッシュなイタリアンが続出。子供向けを意識してか少々説教臭いのが玉に傷だけと、陽気で人情味豊かなイタリアンを是非この本で堪能してください。


    

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July 17, 2005

タイムマシン~進化した文明人の退化

 SF文学の二大巨匠の片方:ジュール・ヴェルヌに比べると、もう片方の巨匠:H.G.ウェルズは科学的釣根拠は、かなりあやふや。だいたいタイムマシンなんて現代社会ではどう転んでも実現できない絵空事。「モロー博士」の動物実験も「透明人間」も挙句は「宇宙戦争」まで、ありえない事ばかり。ただしストーリー展開はウェルズの方が数段面白い!

 さて、タイムトラベラーが見た80万年後の世界は、2つの階層がより明確に分断されていた。支配階級イーロイ人は地上で優雅に生活し、労働階級モーロック人は地下で暮らす。ところがイーロイ人は安全すぎて便利すぎる環境で何の苦労も知らずに過ごしてきたため、体も知能も幼稚化してしまった。反対にモーロック人はよりタフに野蛮になり、恐怖の的となってしまった。最初にタイム・トラベラーが見た印象は”サルのような白い野獣”

 イーロイ人の描写は、身長120cm位、顔には髭はなく産毛もないくらい滑らかで、耳も口も小さく、唇は真っ赤で薄く、あごの先は細く尖っている。目は大きく穏やかだが、なんの好奇心も感じられない。つまりお人形さんのようなのです。

 平和すぎて何の苦労も知らずにいたため、体だけでなく頭まで白痴化してしまったイーロイ人。なんかどこかの経済大国の国民とオーバーラップしてしまい、少々不安を感じないではいられなくなります。


      

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二年間の休暇~わんぱくブリアンと秀才ドノバン

 「十五少年漂流機」といったほうがなじみがあるかもしれません。ジュ―ル・ヴェルヌ原作のこの本は今ではおじいさんと言われる人たち、昭和初期の少年達が夢中になって読んだと聞いています。当時の日本では相当読まれたそうですが、英米では日本ほど人気はなかったそうです。それというのは主人公の少年がフランス人だったからだと思われます。

 ニュージーランドの寄宿学校の生徒14人。内アメリカ人1人、フランス人2人、残りはイギリス人。そして黒人の小間使い少年1人を含む15人の少年達を乗せた船は無人島へ漂着してしまいます。題名通り島での二年間の生活が綴られています。

 少年達の要となって活躍するのがフランス人、ブリアン。木登りが得意でスポーツ万能の明るく、責任感の強い少年。一方、ブリアンに敵対するのはイギリス人、ドノバン。彼は成績では常に一番なのにみんなが自分よりブリアンにつくのがちょっと面白くない。とうとうブリアン一派は島の反対側に移り住んで、自分達だけの暮らしをはじめる。ところが、双方に共通の敵、海賊の上陸によって2つのグループは力を合わせ、無事帰国するに至ったのです。

 勉強ができるというのは確かに一目置かれますが、スポーツや遊びに長けてる子が人気を博すのは、いつの時代もそう変わらないものですね。

 ジュール・ヴェルヌの物語は空想科学小説の枠に入るという以外は、割と単純明快。ものによっては少々退屈なものもあります。しかし彼の受けている最大の評価は”科学的裏付け”。ウェルズの「タイムマシーン」やスティーブンソンの「ジキルとハイド」のように実現不可能な絵空事ではないのです。科学に明るい人は、どうかその根拠を確かめながら読んでみてください。



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July 16, 2005

星の王子さま~世紀のメルヘン

 ちょうど今から5年前、サン・テグジュべり生誕100年を記念して”オリジナル版”が復刻されました。”オリジナル版”とはサン・テグジュべりが描いた挿絵がそのまま印刷されたもの。それまで我々が親しんできたのは、一度印刷された挿絵をカーボン・コピーしたもの。おまけに白黒。

 素人が見て絵のディテールなどはよくわかりませんが、横書き、ハード・カバー、カラー挿絵のオリジナル版を手にしてみると、ちょっと得したような気分になりました。

 さて、我が家では当時小学1年生の息子がさっそくこれを見つけ、読んで読んでとせがみ始めました。毎晩少し読んでは寝て、少し読んでは寝て・・・と何日もかけて一夏費やして読み上げました。

 ご存知のようにあの本は結構むずかしいですよね。だから6歳の子がどれほど理解しているのかはわからないけど、彼が話を楽しんでいたのは確かなようです。挿絵の魅力というのも大きいですね。もともと彼がこの本に興味を持ったきっかけは王子様の絵だと思います。私は以前、本というのは内容さえよければ挿絵だの装丁だのはどうでもいいと思ってました。子どもを持つ身になって絵の重要性、絵本は絵があるからこそ絵本なんだ。というあたりまえのことに気づいた次第です。

 日本人は長い話や長い音楽は子どもには無理だと決めつけるてらいがありますが、あれはむしろおとな自信の苦手意識の表れなんじゃないでしょうか。実際ドイツなどは子どもが物心ついた頃から交響曲を聴かせているから、おとなになって長い音楽に親しめるのだそうです。要するにちいさい頃からの”馴れ”は大きいですね。そしていいものは小さな子どもにもその良さがわかるんだと思います。


     

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ピーター・パンとトム・ソーヤ

  「ピーター・パンとトム・ソーヤは少年文学の二大最高峰だ!」

 ある児童教育者の言ったことばです。だけど、少年を主人公にしながら、この二つの作品は大変かけ離れたものではないでしょうか。
 
 ピーター・パンは決しておとなにならない子ども。海賊やインディアンや人魚だけが住む、学校も会社もない社会に暮らしています。 一方トム・ソーヤは冒険好きではあるけれど、学校へ行って、叔母さんのお手伝いをして、なんやかやと周りのおとな達と上手く付き合っています。むしろ、磯野カツオくんや野原しんのすけくんに通じる要領の良さで現実の生活を楽しんで過ごしています。

 ロンドンに戻ったウェンディー達はいつかおとなになります。トムやハックもいずれおとなになるでしょう。しかし、ピーターだけは決しておとなになりません。現実を拒否し、成長を拒否しているのです。ある意味ではフックや海賊達も成長を拒んだ子どもだといえます。でも、おとなになるってそんなに大変なことでしょうか。そんなに嫌なことでしょうか。「ピーター・パン」は楽しい話でありながら、どこかに悲しいトーンが漂っているのは、ピーターが成長しないからじゃないでしょうか。

 ストーリーとしては現実的な「トム・ソーヤ」よりファンタスティックな「ピーター・パン」のほうが私は好きです。でも目の前に2人の少年が存在するとしたら、成長しないピーターよりも、明るく前向きなトムと友達になりたいと願うでしょうね。
 

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Charlie and the Chocolate Factory

 裏表紙を読んで面白そうなので読んでみたが、なんとも・・・素直に楽しめない気がする。というかこれは子どもの本なんだろうか?確かに主人公は子どもだし、チョコレート工場の中はチョコレートの川やらチョコレートの滝が流れていて、果てしなく味が変わるチューインガムや物を運び込んで取り出せるテレビなど子どもの喜びそうなアイテムが並べ立てられているが、風刺はかなりキツイ。

 これは子ども達と、その親馬鹿な親達を相当皮肉っている。そもそも子どもというのはわがままで衝動的で時には押さえが効かなくなる、非常にはた迷惑な一面がある。そういった子どもの負の面がコミカルに描かれている。また、工場長のMr.Wonkaもいい意味でも悪い意味でも子どものような存在である。Mr.Wonkaと子ども達との絡みも、またコミカルである。

 ところで、主人公のCharlieは一人っ子で、両親と父方、母方両方の祖父母とオンボロの家に7人で暮らしている。父親は町工場で安月給で働き、母親は寝たきりの4人の老人の介護に終われ、家計は非常に厳しく、Charlieは大好きなチョコレートも年に一回、自分の誕生日にしか買ってもらえない。

 少子高齢化、しかも長寿化が進むと、これは当然ありえる現象だと思う。一組の夫婦が4人の親、次の一組の夫婦が4人の親と8人の祖父母を抱え込まなければならない・・・・笑えない話だ。

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July 10, 2005

はらぺこあおむし~欲張りなあおむしクン

 英語教室の講師をしていた頃、よくこの本を読んであげてました。中学1年の語学力でわかる内容、曜日と数と食べ物の名前が一度に覚えられて、こんな子供向けのいい教材はありません。初めてこの話を聞いた子どもでも一緒になって"hangry!"とハモってくれます。本物の青虫はあまり好きじゃないけど、この絵のあおむしクンはどことなくユーモラスなのもいいですね。

 ところで、あの絵はすべて貼り絵だと知ってましたか?私はあまり絵のことはわからないので気にもしてなかったのですが、云われてみれば確かに貼り絵のようです・・・・しかも、その貼り絵に使う紙はありきたりの紙、いわゆる折り紙や千代紙や包装紙などでは決してなく、エリック・カール自ら白い紙(いろいろな種類の紙を使うそうです)に絵の具で自分の表現したい色や模様を描くのだそうです。そして、その紙を切り張りしてああいった絵本を仕上げるんですって。シンプルに見えても実に手が込んでるんですねえ。

 どなたかのコメントを読んでいたらこんなことが書いてありました。あおむしはフルーツを食べている頃はよかったけど、終いにはチョコレートケーキだのサラミだのチーズだの体に悪いあおむしにふさわしくないものを大量に食べてしまい、あげく腹痛を起こした。最後に葉っぱを食べてよくなった。つまり何が自分にとって良いものと悪いものの区別を見をもって学習した。とのことです。

 納得です。だけど、このあおむしクンは青虫の分際でスイス・チーズなんかを贅沢にも食べてしまうところなんか、なんとも面白いですね。しかも彼(どうもこの絵を見てるとオスのような気がしてなりません)は、かなり欲張りの食いしん坊。あれもこれもって欲張りようは半端じゃない。痛い思いはしたけど、あれもこれも手を出したおかげできれいなちょうちょになれたんじゃないかな。葉っぱだけを食べて安泰に過ごすより、あおむしクンみたいにちょっと冒険して限られた人生をおくれたらいいな・・・と思うのでした。

        

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