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March 23, 2005

オズの魔法使い~ドロシーの素敵な旅の仲間

 こどものおはなしの中でも私は、日常的なお話より非現実的なお話、とりわけ冒険物が好きみたいです。
中でも「オズの魔法使い」は大好きなひとつです。

 以前、おとなしい女の子4人のクラスで英語劇をやることになったんです。演目は「オズの魔法使い」がいいと早くも決まりましたが、配役を決める段になったらさて困った。4人が4人ともドロシーをやりたがったのです。わかってないなあ。芝居好きの意見を言わせてもらえば、やっていて一番面白みのない役がドロシーなのに。結局配役は公正にあみだで決めました。ドロシーの役を射止めた最年少のアユミちゃんは他の人の倍以上あるセリフをものの見事に覚えちゃいました。「学校の勉強飛んじゃった!」なんて言いながら。それに比べると他の3人はエンジンがかかるのがちょっと遅かったですね。‘やる気’の力ってすごいです。 
 「オズの魔法使い」はとても長い話なので、最初から最後までなんてとても出来ません。~ドロシーが旅の途中で3人の道連れに出会ってオズの国をめざす~という部分のみで構成しました。 

 さて、竜巻に飛ばされて見知らぬ国にきてしまったドロシーは何とかして家に帰ろうとオズの国まで旅に出ます。
物語の主人公にふさわしく勇気と行動力があります。仲間へのやさしさも持ち合わせたいわばいい子です。しかし、この話を面白くしているのはむしろ3人の人間臭い〈設定上は人間じゃない)仲間達です。頭が悪くて脳みそをほしがってる案山子、心がないので心をほしがってるブリキの樵、弱虫で勇気がほしいライオン。
 ところが、頭が悪いはずの案山子はいざという時誰よりも知恵が働き、心がないはずのブリキの樵は誰よりもやさしく、臆病者のライオンはいざという時とても勇敢になります。
 自分ではダメだと思っていることが、実は全然ダメじゃなくてむしろ優れている。なんだか救われたような気持ちになる一冊です。

        「オズの魔法使い」ライマン・フランク・ボーム作

 

       

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March 21, 2005

ゴールディーロックスと3びきのクマ

 3匹のクマの話は世界各国でいろいろな形に語り継がれています。変わらないのは3匹のクマの留守中に女の子が勝手に家に入り込んで、さんざん好き勝手なことをしておきながらクマを見て怖くなって逃げていく、という話。

 クマの関係が父、母、子というものが最も多いのですが、中には大、中、小と体の大きさの違いだけはっきりしていて性別も関係もはっきり記されていないものもあります。

 女の子の名前はフランスでは"Boucle d'Or"(ブックルドール)、イギリスでは"Goldilocks"(ゴールディーロックス)というのが一般的です。ともに”金の巻き毛”という意味です。ただ単に女の子とだけ書かれたものもあります。

 今回はイギリス、ジェイコブス版を探っていってみたいと思います。
 さて、このゴールディーロックス、金髪の巻き毛をしているくらいだからとても目立って可愛らしかったんじゃないでしょうか。金髪の人はブルーやグリーンの目が多いので彼女もおそらく碧い目だったのかもしれません。
 ところが、外見のきれいさとは裏腹に留守の家に勝手に入り込むは、椅子は壊すは、ベッドに入って眠りこけるはで厚かましいことこの上ないですね。終いにはその家の本当の住人であるクマたちが帰ってきたら、その姿を見て怖がって逃げ出してしまう。なんとも失礼な話です。いいようによったら「お前のがよっぽど怖いわ」とも言えますね。

 クマたちは誰にも迷惑をかけずただ静かに平和に自分達の暮らしを営んでいたのです。外出する時ドアに鍵をかける必要もないくらいに。

 私はこの話、ジェイコブス版3匹のクマを読むと、どういう訳か ゴールディーロックス=イギリス人、クマ=植民地の現地人という図式が頭に浮かんでしまうんです。

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三びきのやぎのがらがらどん~3びきが意味するもの

 マーシャ・ブラウンの簡素な絵で有名なこの絵本は、ちいさな子どもでもわかりやすいシンプルなお話です。
ある人が〈Guff)という固有名詞を(がらがらどん)と訳したのが素晴らしいと述べていました。ほんとうにそうですね。
ただ(ガフ)と音訳されただけなら我々日本人もこんなに親しみを感じなかったでしょう。それから1番目のやぎも2番目のやぎも英語版ではまったく同じことばを話しています。ところが日本語版は1番目のやぎはいかにも小さく弱々しく、悪く言えば弱さや可愛らしさで同情を買うようなしたたかさが感じられます。2番目のやぎは陽気なお調子者と言った雰囲気で、世渡り上手な小狡さが伺えます。そして3番目のやぎは堂々と威厳を備えて・・・まさに翻訳の上手さ、そして日本語の豊かさですね。

 さて、話は変わって私の出た大学の講堂に入学式や卒業式などの特別な式典でしか下ろさない緞帳がありました。大きく3本の光が描かれ、光の先頭には3人の女の人の顔。学園目標が「世の光となろう!」という女子大で、この世に光を掲げるのは母なる女性の役目だというのです。それはさておき、ここに描かれている3人は多数を意味するのだそうです。

 古今東西のお話に3人、3匹というキャラクター設定は数多くあります。《3=多数》だと考えるとがらがらどんたちも3匹だけではなく、もっとたくさんいたのかもしれません。トロルはやぎはみんな小さくて弱いものだた思っていたのでしょう。けれどもやぎたちは小さくて弱いものばかりじゃありませんでした。小さいながらもしたたかなもの、大きなもの、そして想像を越えるほど大きくて強いものもいたのです。

《3=多数》という方程式を他の物語にも当てはめてみると、物語の違った側面が見えてくるかも知れません。


  

 

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March 14, 2005

赤ずきん~オオカミとのドキドキするやりとり

 子どもの英語教室の講師をしてた時、年に一回英語の歌やドラマの発表をやってました。ドラマのスキットを組み立てる場合できるだけ子どもたちが発話しやすい、やさしいことばをつなぎ合わせて作ります。ただしちょっと長くて難しそうなセリフでもこれだけは削れないというセルフがあります。

例えば「3匹の子豚」なら
”Little pig,little pig, Let me come in."  「豚くん豚くん、中に入れておくれよ」
"No,no,by the hair of my chinny chin chin" 「ダメダメ、ぼくのあごの毛に誓って絶対にダメ」
というオオカミと子豚とのやりとり。

「白雪姫」なら
"Mirror mirror on the wall, Who is the fairest one of all?"
「鏡よ鏡、世界中で一番美しいのは誰だ」
という女王様のお決まりのセリフ。

そして赤ずきんとオオカミとのやりとりもこれに匹敵します。

 童話の中にオオカミが出でくる話は他にもいっぱいあります。オオカミと出会うということは食べられてしまうかもしれない、つまり死と向かい合う事なのです。古今東西の物語の中に、この生きるか死ぬかという重いテーマがいともやんわりと織り込まれています。
 「3匹の子豚」の子豚たちや「7匹の子やぎ」の子やぎたちはオオカミの恐怖をよく理解しています。それだからオオカミが戸口に現れても決して入れようとはしません。ところが赤ずきんはオオカミの怖さがわかってません。親切なおじさんだと思い少しも警戒しないでオオカミの言うとおり寄り道します。そしておばあさんに化けたオオカミと再開して物語のクライマックスを迎えます。ここでも赤ずきんはオオカミが化けてるとも知らず、目の前にいるのがおばあさんだと信じて疑いません。
 ところが、本を読んでいる、或いはお話を聞いている子ども達はそこにいるのがオオカミであると、そしてとても怖い存在であると理解しています。そのギャップが子ども達をよりいっそうドキドキさせるのです。

 「おばあさんの おめめは どうして そんなに おおきいの?」
 「お前をよーく見るためだよ」
 「おばあさんの おみみは どうして そんなに おおきいの?」
 「お前の声をよーく聞くためだよ」
     
     そして次のやりとりでドキドキのピークに達します。

 「おばあさんの おくちは どうして そんなに おおきいの?」
 「お前を食べるためだ!!」

 この面白さは「赤ずきん」が時代を超えて語り継がれてきたひとつの要因かもしれません。



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March 12, 2005

ももたろう~語り継がれたことばの魅力

 よく、ちいさい頃から親に本の読み聞かせをしてもらってた子が本好きに育つといわれます。私の場合、確かに父や母から絵本を読んでもらった覚えはあります。ただ家にそれほどたくさんのこどもの本があった訳でもなく、我が家では本の“読み聞かせ”より素語りによる“語り聞かせ”が日常的でした。
 布団に入って眠りにつくまでの間、“ももたろう”や“カチカチ山”、“赤ずきん”や“シンデレラ”など定番の話を何度も何度もおねだりして話してもらいました。“語り”というのは話す人によって雰囲気が変わったり、その日によって物語りの細部が抜け落ちたり、余分なものがくっついたりと結構いいかげんなものです。ただアバウトな語りを繰り返し聞いてるうちに話のポイントをいつしか掴めてたんじゃないかと思います。
 親にやってもらったいいことは自分もやろうと、私のこども達にも布団の中の語り聞かせは受け継ぎました。グリムやアンデルセン、日本の昔話など誰でも知っているようなものを・・・ウチのこども達は“ももたろう”が大好きでした。
おそらく、ほかの話とくらべて自然にすらすら話してあげられたからじゃないでしょうか。物語そのものの面白さもさることながら、私自身の体の中に染み付いたことばのリズムが聞きやすかったのでしょうね。
 
 どんぶらこっこ どんぶらこっこ と、ももが流れてくると、洗濯中のおばあさんは言います。

             おいしいもも、こっちへこい。   ま~ずいもも、あっちいけ。
             あ~まいもも、こっちへこい。   すっぱいもも、あっちいけ。
 
 まるで唄でもうたってるようです。それからももたろうとイヌ、サル、キジが出会う時の掛け合いがいいです。

            -ももたろうさん、ももたろうさん、どこへいくんですか?
            -鬼が島へ鬼退治に
            -お腰に付けてるものはなんですか?
            -にっぽんいちの きびだんご
            -ひとつください、お伴します

 いつのまにか覚えて自然と口をついて唄うように語れます。代々親から子へと語り継がれた話にはストーリーだけでなく語り口のおもしろさが備わっていて、故に今日まで生き残っているのでしょう。


                       


 

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March 11, 2005

ハリー・ポッターにはまるわけ

 さて、何からはじめよう・・・あまりにもありきたりだけど、今をときめく物語といったらやっぱりこれ。
私もポッタリアンの端くれとして何故にこんなにハリ・ポタ人気が続くのか検証してみました。

1.幾重にも包まれたミステリー
 入り口は魔法使いの話、つまりファンタジー。でもストーリーの主要場面は魔法学校、つまり学園ドラマ。そして根底に流れるミステリー。毎回毎回各話の主軸になる謎をハリーたちが解き明かしていく。そして全作品を通じて横たわっている大きな謎、ハリーの生い立ちにまつわる謎が何重にも包まれたラッピングを剥がすように少しづつ見えてくる面白さ。

2.ユニークな人物設定
 無邪気な親友ロンと優等生のハーマイオニー。お人よしのハグリッド、厳しいマゴナガル先生、とぼけた校長先生。ハリーをいじめるダドリー家の人たちも平凡を愛する憎めない小市民だし、金持ちを鼻にかけるマルフォイもその腰巾着の鈍感なクラブとゴイルも、敵役すら憎みきれない味わいを持っている。

3.脇でくすぶるちいさな謎
 2話ではパーシーが、3話ではハーマイオニーが、4話ではフレッドとジョージが・・・なにやら怪しげな動きをする。結果的にストーリーの中心となる事件とは関係ない、それぞれのプライベートな問題なんだけど、いかにも事件と関係ありそうに(間接的には関係してくる)絡んでくる伴奏のような部分がまた面白い。

4.連ドラのような筋立て
 よくあんな長い話を子供が読める・・と言われるが、各章ごとにストーリー展開がわかりやすく組まれ、しかも各章の終盤で話が大きく変化する。連続ドラマの”つづく”のような形で、いかにも続きがよみたくなようなところで章が終わる。

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March 10, 2005

ぴぐもんの書斎へようこそ!

 ちいさい頃からほんを読むのが大好きでした。
 
 今でも本屋さんで背表紙を眺めるだけでもじゅうぶん楽しめちゃいます。

 ここに書かれてるのは読書案内、というより私がこれまで読んできた物語に対するあれこれ勝手なレビューです。
 
 その本を読んでみたくなった、或いは読み返してみたくなったと思っていただけたら幸いです。

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